2013年04月

 私・ドクター差別は、政治活動を15年、NPO活動も15年、合計30年ほど社会活動をやっております。とくに、後半の15年は、自己責任で、しかし、だからこそ、好きなこともできるわけで、いろいろ工夫をしながら、活動して参りました。まあ、「長ければいい」というものでもございませんが、何しろ、私はいろいろ工夫するタイプなので、「やればやるほど良くなる」という感じはしております。
 
 たとえば、15年前は、選挙(=大田区議選)で使った拡声器の1つを(電動)自転車に搭載し、都内で街頭演説をしておりました。しかし、いくら電動自転車とは言え、その行動範囲は、せいぜい、城南地区(五反田、大井町、蒲田、自由が丘など)どまりでした。そこで、(神奈川県への)転居を契機に、自転車をやめ、今の「街宣カート」にいたしました。
 
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自宅に格納されている「街宣カート」の雄姿
 
 このカートには、いろいろ工夫がされております。買ったカートの車輪は写真のものより(かなり)小さく、道路の凹凸を敏感にひろってしまうものでした。そこで、大きな車輪を購入し、付け替えました。また、ポール(3本)を運ぶための筒も取り付けました。ポールも電車に乗車する際、邪魔にならないように、2段式のものから3段式のものに変えました。その他、いろいろ工夫してあります。
 
 最近、ドクター差別の「奇抜なコスチューム」が話題になっておりますが、考えてみれば、この「街宣カート」も、かなり「奇抜」です。実際、私以外で、このような「街宣カート」を使っている人を見かけたことはございません。つまり、ドクター差別は、かなり前から「奇抜なこと」をしてきたわけです。今さら、「奇抜なコスチューム」云々もありません。
 
 と言うわけで、次は「奇抜なコスチューム」の話です。これには、想定はしていましたが、「賛否両論」があります。しかし、誰が何と言おうと、この「奇抜なコスチューム」を止める予定はございません。なぜなら、私らがしている社会活動は、「目立ってナンボの世界」だからです。もし止めるとするば、「奇抜なコスチュームが(意に反して)目立たない」とわかった場合か、「その代わりに(さらに)目立つことが見つかった」という場合でしょう。
 
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右から、「帽子」、「ダルマ」、「パトランプ」
 
 この「帽子+ダルマORパトランプ」も、工夫が必要でした。最初は、帽子にダルマを両面テープで留めましたが(注:この両面テープもいろいろあって、4つくらい購入して、一番くっつきやすいものを使用した)、さらにパワーしてパトランプを間に挟もうとしたら、かなり不安定で、それは諦めました。そこで、ダルマとパトランプを両方活用するために、帽子に鉄板を貼り付け(注:この鉄板を見つけるのも結構面倒だった。ステンレススチールにも磁石でくっつくものと、くっつかないものがあるらしい)、磁石を使って「着脱可能」にいたしました。パトランプには元々、磁石がついていましたが、ダルマには、市販の磁石を4つ付けました。ちなみに、「ダルマ」は「私らの活動は(七転び八起き)我慢の活動である」、「パトランプ」は「私らの活動は社会に対して警鐘を鳴らす活動である」という意味が込められております。
 
 それから、半纏をつくりました。今までにも「任意周知Tシャツ」、「任意周知ポロシャツ」、「任意周知ジャンパー」はつくりましたが、今回は「ドクター差別(個人)の半被」です。ドクター差別(個人)をアピールする半纏です。
 
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目立つようで目立たない?
 
 まあ、「ドクター差別(個人)の半纏」と言っても、個人的な使用目的でつくったわけではありません。あくまで、「ドクター差別」をアピールすることで、私(ら)のやっている活動を広く世間にアピールできたらいいな、という発想でつくられたものです。でなければ、こんなメッシュの半纏、着ても「防寒にも、防風にも、防塵にもならない」ので、意味がありません。
 
 ただ、この半纏、街頭演説の場で着ているよりも、普段着ている方が「目立つ」ようです。街頭演説では、他の人も相当奇抜な服装をしている場合がありますから、この程度の「半纏」では目立たないかも知れません。一方、この前の中央線快速で「女性専用車」に乗車した際、ホームで「この半纏」を着たら、皆、見ておりました。振り返って見る人もおりました。
 
 そうそう、これから、ドクター差別は、この半纏を着て「女性専用車」に乗車します。(注:と言うか、普段から着るということですが) そうなりますと、「任意周知乗車」ではなく、「ドクター差別乗車」ということになります(笑)
 
 

女性は、総じて、「被害者意識」が強い生き物である。(注:もちろん、例外はある) そのため、その論理は、「弱者の論理」になりがちである。ところが、かつての「弱肉強食」の時代が去り(注:「完全に去った」というわけではない)、「弱者の意見」が尊重される時代になると、その「弱者の論理」が何にでも通用する、どこでも通用する、と錯覚する人たちが現われてしまった。
 
 たしかに、「生活に困っている」、「障害がある」、「差別を受けている」などという人たち(=弱者)には、「弱者の論理」で、何らかの保護政策は必要だろう。しかし、それは「行き過ぎてはいけない」し、「保護対象の適用範囲をやたらと拡大する」のも問題である。たとえば、「痴漢被害」というのは、本人の「自助努力」でほぼ100%防げるにもかかわらず、それをせず、世の中に「痴漢対策をしてくれ」というのは本末転倒である。(注:もちろん、社会としても「痴漢対策」はすべきであるが、あくまで「補助的なもの」である)
 
「(痴漢は)した方が悪い」というのは、「法的には100%正しい」が、論理的には、あくまで「弱者の論理」、「女性の目線」である。それは、「周りが同情してくれて、対処してくれる」という前提の上でしか成り立たない。もし「1対1」なら、痴漢と痴漢被害者だけの話なら、「された方が悪い」となるだけである。
 
 まして、世界を相手にする場合、この「女性の目線」、「弱者の論理」は全く通用しない。「唯一の被爆国だから」というのは、(通用するとしても、日本国内だけで通用する論理で)世界では(まあ)同情はされるかも知れないが、「だから、核を持つのを止める」とはならない。「日本が原爆を持ってたら、アメリカは原爆を落とさなかったよ」と言われるだけである。
 
だから、「女性の目線」、「弱者の論理」を持った政治家なんぞに、外交を任せるわけにはいかない。世界は、まだまだ「弱肉強食」だから、「女性の目線」や「弱者の論理」で交渉に臨めば「バカにされるだけ」である。「ならず者国家」を相手に、「真摯に対応すればわかってくれるだろう」なんて思っているとしたら(注:実際、安倍政権以前の大臣や官僚の行動からは、それが見て取れた)、外交オンチもいいところである。
 
 

 「差別ネットワーク」は4月27日、渋谷のハチ公口で街頭演説後、「4月ミーティング」を行い、活動報告と今後の活動の打ち合わせを行った。
 
 街頭演説は午後3時からの予定だったが、レノンさんが遅れる、ということなので、
私・ドクター差別は、ノボリや拡声器の用意をして、しばらく待機していた。すると、目が血走り、顔を赤くした年配の(結構、がたいの良い)男性が近寄って来て、「部落差別をどう思うか?」と話し掛けて来た。もちろん、「部落差別はいけない」と言ったのだが、なかなかそれが伝わらない、「なら、『差別ネットワーク』ではなく『差別反対ネットワーク』にしろ」とも言う。
 
 これだけならいいのだが、いきなり興奮し、掴みかかって来た。結構、力が強いので、(普通の力では)止めているのがやっと、近くで見ている男性に「警察を呼んでください」と言うと、「呼ぶほどのことではない」などと呑気なことを言う。これでは、レノンさんを待つしかない。
 
 あまりにしつこく、やたら唾を飛ばして喚くので、もう少し力を入れて、押し戻した。その拍子に相手のメガネが外れそうになったが、ヒモがついているので落ちなかった。そこに、もみ合っているのを見つけたおまわりさんが駆けつけてきた。(注:幸い、街宣場所に交番がある) 
 
 すると、どうだろう、その男性は、「女性専用車両」」内の女性乗客よろしく、「暴力を受けている」、「力が強くて・・・」などと被害者面をしだした。しかし、それは誤魔化せない、冷静な私と酒気を帯びているその男とでは、どちら言い分が「真実」か、おまわりさんもわかったのだろう、その男を交番に連れて行った。しばらくして、女性のおまわりさんがやってきて、「かなり酔っているようなので、こちらで対応して、帰してもいいですか?」と言うので、「殴られたわけでもないから、いいですよ」と返答した。
 
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私らの演説はいかなる妨害にも屈しない
 
 その後、レノンさんが到着し、演説を始めた。周りに気配りをしていると、右横5メートルくらいのところに、いつの間にか、その男性が立っていた。レノンさんの演説を神妙に聴いている。そこで、私から声を掛けてみた。すると、さっきとは、うって変わって、おとなしく話をする。最後は、私から握手を求めて和解したら、納得した様子で去って行った。
 
 しかし、今回の街宣は、これだけでは終わらない。(これまでも何回か見かけたことがある)限りなくホームレスに近い女性が、演説中のレノンさんに近づき、握手を求めて、纏わりつこうとした。そこで、私が、「演説の邪魔はしないでね」と注意をすると、私の顔をジッと見たその女性は、この場は素直に引き下がった。
 
 ところが、その女性の動向を見ていると、男子学生に纏わりついたり、女の子に抱きついたり、カップルの男性に後ろから近づきお尻(の中心線)を指でなぞったり、やりたい放題。これが男性なら、即、「痴漢」で逮捕だろう。
 
 男子学生や女の子が交番で事情を説明しているので、私も交番に行った。そして、「先ほどの男性とは和解した」という報告と、「変な女性がいる」と申し上げた。すると、しばらくして、その女性、おまわりさんに捕まって交番にやってきた。全く、迷惑千万である。
 
 それ以外にも、奇声を発して、右から左、左から右と、駆け回る青年もいた。春ですな~、ホント、何が起こるかわからない。1人の街宣は「要注意」である。幸い、渋谷のハチ公口には交番があるので、今回も「重大事」にはならなかった。
 
 そうこうしている内に(午後)5時に近くなり、仲間の人たちが集まってきた。「全国 男性復権を目指す会」のO代表も駆けつけた。そこで、集まった人に、ドクター差別の「奇抜なコスチューム」に対する感想を聞いてみた。すると、皆さん、極めて「好意的」で、「否定的な感想」は一つもなかった。それを聞いたレノンさんは、「さすが(「差別ネットワーク」のメンバーは)『選ばれし者』ですね」と感心しきりだった。
 
 ミーティングの場所は、「フェミレス」が多いが、今回は、先日、「男性差別を許さない市民の会」と打ち合わせをした「居酒屋」にした。皆さん、十分、「大人」で、お酒の好きな方も多いので、それでよかろう。しかし、一家言ある人たちばかりなので、毎回、まとめるのが大変である(苦笑)
 
 

【終了】5月5日 「差別ネットワーク」と「男性差別を許さない市民の会」が、JR 東秋葉原駅中央口のロータリーで、合同街頭演説会を行いました。
 
【終了】5月10日 私・ドクター差別とレノンさん、マスターさんが早朝、東横線で「任意確認乗車」をしました。
 
【終了】5月17日 私・ドクター差別とレノンさん、エリーさんが早朝、東横線・千代田線・半蔵門線で「任意周知乗車」をしました。
 
【終了】5月29日 私・ドクター差別が早朝、東横線・横浜市営地下鉄、田園都市線で「任意周知乗車」をしました。
 
【終了】5月31日 「差別ネットワーク」が、JR新宿駅南口で街頭演説を行いました。その後、京王線で「任意周知乗車」&「ドクター差別乗車」をしました。
 

「差別ネットワーク」と「男性差別を許さない市民の会(=男差会)」のメンバー6人(=ドクター差別、マスターさん、レノンさん、WindowsNTさん、タキタさん、エリーさん)は4月26日、JR東中央線快速で、「任意確認乗車」を行った。これは、昨年12月7日に運転士と駅員が「女性専用車両」に乗車した高校生に対して不適切な言動を行った「事件」で、その高校生が八王子駅で「再発防止」の要請をしたのを受け、その要請(=再発防止)がキチンと履行されているかどうかを確認するためである。なお、「事件」から時間がかなり経過しているのは、その高校生が「事件」の模様を録音した「動画」を最近公開し、それで、その「事件」のことを私(ら)が(最近)知ったからである。
 
(注)記事=「JR東の駅員らの暴挙」(4月12日)
動画=員による暴言+α」
 
「任意確認乗車」は、八王子から新宿まで。私・ドクター差別とエリーさんは大倉山駅で待ち合わせ、東横線&横浜線で八王子に向かった。ちなみに、菊名まで1駅、「女性専用車」に乗ったがガラガラで、車掌の声掛けもなし。「(横浜線のことだから)八王子までは比較的空いているのではないか?」という予想は外れ、満員状態で八王子に着いた。降りた人が多くて、なかなか前に進まないほどである。
 
 他の仲間とは、中央線快速ホームの「女性専用車」の乗り場で落ち合う約束である。集合場所に着くと、すでに、仲間(=タキタさん)と駅員(=助役)が言い合いをしていた。早速、私も「参戦」、何を言っても、その助役は「協力をお願いします」の一点張りで、日本語が通じない。埒が明かないので、乗ろうとすると、こともあろうに、私とエリーさんの身体に触れて乗るのを阻止しようとした。
 
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ドクター差別の身体に触れて乗せないようにする駅員
 
 私らは、そんな妨害で怯むはずがない。そのまま(全員)乗車すると、今度は、座ろうとしたエリーさんの腕を掴み、強引に立たせた。横で見ていたもう1人の駅員(=助役)は、さすがに「これはまずい」と思ったのだろう、「身体に触れては駄目」と制止した。私らが乗車したまま、電車は発車した。
 
 ところが、立川駅で、また駅員2人が現われ、ドア付近で、「ここは女性専用車です。協力をお願いします」と声掛けしてきた。「任意の協力でしょ?」と言うと、そのうちの1人が、「車内の禁煙と同じ」などと言って退散した。おいおい、デタラメを言ってもらっては困る。「(禁煙の)車内での喫煙」は禁じられているが、「女性専用車両に男性が乗ること」は禁じられていない。
 
(注)「鉄道営業法」では、34条1号で「喫煙が禁止されている駅構内や電車内で喫煙した場合に罰せられる」とあり、同2号で「婦人のために設けた車室に男性が妄りに立ち入った場合に罰せられる」とある。しかし、現行憲法下では、「1号は適用されるが、2号は適用されない」というのが、裁判所や国交省の見解と言える。
 
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▲ドクター差別が中央線快速に乗るのは「2回目」
JR東本社前で記念撮影(撮影:WindowsNTさん)▼
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というわけで、JR東本社に出向き、昨年12月7日の運転士と駅員による高校生に対する不適切な言動及び今朝の駅員の不適切な言動を報告、再発防止を要請した。JR東本社の社員は、「女性専用車両は、あくまで任意(の協力)である」と明言、昨年12月7日の「事件」についても把握しており、善処に努めているとのことだった。しかし、今朝の駅員の言動を見ると、その対応は決して十分とは言えず、さらなる善処を要請した。
 
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日本語が通じない駅員
 
その後、「女性専用」を謳う「タカノフルーツバー」にも出向いた。「男差会」のメンバー(=マスターさんとWindowsNTさん)による東京都への申告後の様子を確認するためである。まず、愛想の良い女性が応対してくれたが、「どういう方法で、女性と判断しているのか?」などの鋭い質問に答えられるはずもないので、責任者を呼んでもらった。
 
 ところが、その(男性の)責任者からは、意外な言葉が返ってきた。何でも、諸般の事情を考慮し、5月1日からは「午後5時から」という条件はつくものの、「男性(だけ)の利用も可能になります」というのである。(注:これまでは、女性が同伴の場合のみ、「男性も利用可」ということだった) しかも、マスターさんが、「(大抵の男性は、夕方以降に仕事が終わって来店するのだろうが)なかには昼間しか来られない男性もいる」と指摘したところ、将来的には、それにも含みを持たせる発言まであった。さらに、その責任者の男性の腰の低さは相当なもので、何度もお辞儀をされて、こちらが恐縮するほどだった。
 
私らとしては、相手の出方によっては民事調停等も視野に入れていただけに、(完全に)拍子抜けである。まあ、「男差会」の東京都への申告が影響していることは間違いあるまい。「味の素」の「だしCafe」もそうだったが、(比較的公共性の低い)民間企業の場合、私的自治権が認められやすい反面、(公的機関と違って)「世間体」も重視しなければならない事情もあり、理路整然と指摘すれば、「差別が改善される可能性は決して低くはない」と言えるだろう。
 
 

安倍政権ほど、功罪相半ばする政権も珍しい。「クオータ制」を推進するのは困ったものだが、「アベノミックス」ではそこそこ実績を上げつつあるし、対中共・対朝鮮への媚びないスタンスは「たいしたもの」である。良かれ悪しかれ、ある意味、「主張を通している」と言えるだろう。
 
(能力のない身勝手な一部の)女性を優遇・優先する友党(=公明党)への過剰な配慮なのだろうか? あるいは、単に、官僚の進言する愚策を「コレ幸い」と「選挙に利用しよう」としているだけなのか? いずれにせよ、(男性)差別を引き起こすだけでなく、(資本主義の根幹を揺るがす)能力主義を否定する「クオータ制」を推進するのは、重大な誤りである。
 
「女性差別がいけない」のは当然である。「有能な女性が公務員になる、管理職になる」というのは、歓迎すべきことである。もしそれを妨げているものがあるなら、それを排除する、「女性差別を解消する」のは当たり前である。
 
 ところが、「クオータ制」は、そうではない。(あったかもどうか疑わしい)過去の女性差別のせいで、今の男性を差別するのだから、開いた口が塞がらない。「女性だから」という理由で女性を優先的に採用する・登用する、というのは、裏を返せば、「男性だから」という理由で男性を採用しない・登用しない、ということであり、男性差別以外の何物でもない。
 
 しかも、この「クオータ制」は、「差別」というだけでなく、「能力主義の否定」だから、始末が悪い。「能力主義を否定」して、古今東西、栄えた国があるのか? あるわけがない。現行憲法は、あくまで「機会の平等」を保障するものであり、何やかや屁理屈(=「機会の均等」は形式的平等? 「結果の平等」こそ実質的平等? などと詭弁を弄する輩がいる)をつけて、「結果の平等」を正当化してはならない。
 
 おっと、今回は「クオータ制」についてあまり触れる予定ではなかったが、あまりにもひどい政策(=亡国政策)なので、ついつい、筆が走ってしまった。
 
 で、次の「アベノミックス」についても、あまり触れるつもりはない。なぜなら、私・ドクター差別は「経済の素人」だから、「専門家」を差し置いて、アレコレ言える立場ではないからである。ただし、私の長年、培った「良識」からすれば、「景気は(日銀の発表でも)上向いているらしいが、まだまだ、実体が伴っていない。象徴的な景気浮揚策として、カジノ(=ラスベガスのような総合エンターテイメントシティー)構想を実現すべきである。決して、むやみに女性を採用・登用すればいい、という話ではない」と思っている。
 
さて、実は、今回のメイン(テーマ)は、安倍政権の「外交スタンス」である。これまでの政権は、中共や朝鮮に配慮し過ぎて、言うべきことを言わない、「日和見政権」ばかりだった。これは、(大臣や政権が)事なかれ主義、保身第一の官僚の言いなりだったことも一因(と言うか、それが主要な原因)だろう。
 
ところが、安倍政権は違う、(国会議員の靖国参拝に対する)中共や朝鮮の言いがかりに毅然と反論している。そもそも、靖国の問題は、内政干渉も甚だしい。どこの国でも、自国のために死んでいった人たちを祀るのは当たり前である。
 
日本の総理大臣は、アメリカに行ったら、アーリントン墓地で献花している。決して、「このなかには、かつて日本人を殺した連中がいるから怪しからん」などとは言わない。それが「世界の常識」である。
 
そもそも、当時の「侵略」を戦後の価値観で断罪する中共や朝鮮はどうかしている。その当時までは、「弱肉強食」が当たり前、強い国が弱い国を侵略するのは当たり前だった。むしろ、国民を守れなかった自分たちの(当時の)政権を断罪すべき、そういう(自国民を守れない)政権を持ったことを恥じるべきだろう。
 
もちろん、現在は、そういう理屈は通用しない。今の国際常識としては、「弱いから」と言って、侵略していいわけがない。
 
ところが、そこかしこで、「侵略」を働いている国がある。少数民族を「迫害」している国がある。言わずと知れた「中共」である。それでよく、日本に文句を言えたものである。「厚顔無恥」とはこのことだ。(注:南朝鮮は、さすがに「侵略」はしていないが、「インフェリアーコンプレックス」と言うか、何かにつけ「被害者面」をするので、始末が悪い)
 
 こういう国とは、付き合う必要はない。まあ、隣国だから、「完全に付き合うな」とは言わないが、まともに付き合ったら、ロクなことはない。何かにつけ、文句を言われ、譲歩をさせられるのがオチである。
 
素朴な疑問だが、「近いから」という理由で、「反日国家」と仲良くする必要があるのか? ちょっと離れたところには、「親日国」は幾らでもある。アジアだけでも、インド、タイ、台湾をはじめ、ベトナム、インドネシア、カンボジア、フィリピン、その他、アフリカや南米、中近東にも「親日国」は多い。そういう国と付き合えば、「日本は、別にあなたがた(=中共や朝鮮)と付き合わなければならないイワレはないんですよ」というところを見せれば、中共や朝鮮も、あまりしつこくアレコレ言わなくなるだろう。
 
 と、まあ、安倍政権にはいろいろあるが、これまでの政権と違って、「やってるな」という印象はある。しかし、とにかく、「クオータ制」の推進だけはやめていただきたい。これがあると、他のところで「点数」を稼いでも「台無し」である。
 
 

 私・ドクター差別は4月22日、東横線で「任意確認乗車」を行った。前回(=先々週)は、短区間だったので、今回は「渋谷」か、「池袋」まで乗車するつもりだった。ところが、自由が丘駅(のホーム)で、女性乗客からイチャモンをつけられ、警備員や駅員に抗議(=講義)したので、自由が丘で折り返す羽目になった。
 
 大倉山で乗ったのが、(午前)7時半過ぎだった。最初は空いていたが、段々混んで、武蔵小杉あたりでは乗客同士接触はしないものの、結構、混んでいた。自由が丘で一旦、降りて(=自由が丘作戦)、「特急」に乗り換えることにした。ここで乗り換える人が多く、乗っていた「各駅」はかなり空いてしまった。
 
 「特急」を待っていると、2~3人の女性から、声掛けされた。そのなかの1人(=中年の女性)は、かなりしつこかった。無視して乗ったが、すごい混み様。その「しつこい女性」が1人乗らないで、ブツブツ文句を言い続けていたので、「駅員に(男性が乗れることを)確認すればいい」と言うと、「確認するから、あなたも降りなさい」と言うので、降りることにした。
 
 そばに(年配の)警備員がいたので、「この女性に、この時間帯は『男性は乗れない』と言われた。彼女が納得いくまで説明してあげてよ」と言うと、「一応 乗れない」とか、「強制ではない」と明言した。ところが、その女性は、警備員の説明に「納得」せず、「強制できない」とわかった後も、「乗ってもいいけど、(男性の)カバンや肘が当たると、女性は嫌な気持ちになる」とか、「それで冤罪を掛けられた男性もいる」などとわけのわからない理由を並べ立てた。結局、こういう女性は、「任意」とわかった後も、アレコレ理由をつけて、男性を乗せないようにするわけである。その後、その女性は「仏頂面」をして(次の電車で)行ってしまった。
 
 私は、(若い)女性駅員がちょっと離れたところにいたので、近づいて、「なぜ、『任意です』あるいは『男性も乗れます』と言った上で、『ご理解・ご協力をお願いします』と言わないのか?」、「『女性専用』ではないのに、なぜ、『女性専用車』などとしているのか?」などと、10分以上、抗議(=講義)した。その女性駅員は、素直に応じていたが、最後の方は、顔に「もういい加減に止めて」という文字が浮かんでいた。
 
(注)そうそう、女性駅員に抗議(=講義)していると、整列乗車していた年配のサラリーマンが、「邪魔だから、向こうでやってくれ」などと言ったので、「邪魔なんかしていない」と言うと、「何だ、こいつは?」みたいな顔をした。たしかに、(整列乗車の)近くにはいたが、邪魔になるほどではない。(私を)避けなくても乗車は十分できる。要するに、女性駅員をやり込めている私が気にいらなかっただけだろう。
 
 しかし、それでは、まだ、ドクター差別の追及は終わらない。次は、駅の案内所に行って事情を報告、これまた、15分以上、抗議(=講義)した。若い駅員に一方的にしゃべっていたら、途中から、助役らしき駅員が加わった。①ウソの名称・表示のせいで、駅員らの代わりに女性乗客が男性を降ろしている、②「痴漢対策」ではなく「男性対策」になっている、③見かけで(女性と)判断することの不条理さ、④私らは鉄道会社が「男性は乗れない」と言うなら乗らない、「乗れる」と言うから乗っているだけ、⑤先日、「女性専用車」の優先席に座った高齢の男性が警備員の声掛けで隣りの(混雑した)車両に追い出されたことなどを申し上げた。
 
 そうこうしているうちに、(午前)9時近くになったので、渋谷方面ではなく、折り返すことにした。(注:一応、「女性専用車」の設定は、「9時半まで」となっている) もちろん、一旦、改札を出て、再度の乗車である。上りと違って、下りは「ガラガラ」である。「女性専用車」には、私以外、女性が5~6人乗っているだけである。
 
 ところが、そんなガラガラ状態であるにもかかわらず、私を見つけた車掌が「声掛け」に来た。あっさり引き下がったものの、何のための「声掛け」なのか? 副都心線との直通運転が始まってから、「男性が乗っていたら、必ず、声掛けする」という取り決めでもしたかのようである。たぶん、そうだろう。
 
 しかし、こうなると、もはや「痴漢対策」でないのは、明らかである。まあ、「女性なら誰でも乗れる、どんな目的でも乗れる」のだから「痴漢対策」と言えないのは元からなのだが、「1人の男性も乗せないことに必死。それが目的化している。そのために、ウソの名称・表示までする。そのために、駅員らが必ず声掛けする」のだから、これは、まさに「男性対策」以外の何物でもない。さて、「痴漢対策」ならまだしも、「男性対策」なんぞには、男性としてのプライドがあるドクター差別が協力できるわけがない。(注:まあ、「痴漢対策」と称して(痴漢でない)私を降ろそうとするのも言語道断だが、もし「女性専用車」に痴漢被害に悩む女性だけを乗せるなら、「任意の協力」もやぶさかではない)
 
 なお、「任意確認乗車」と女性乗客のイチャモン、駅員らへの抗議(=講義)の模様(の一部)は、以下の動画で視聴できる。
 
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「任意」と知っても降ろす気か?
 
 

 「差別ネットワーク(=差別ネット)」と「男性差別を許さない市民の会(=男差会)」は4月19日、渋谷駅ハチ公口で、街頭演説を行った。私・ドクター差別が強度の花粉症、「男差会」が故あって活動停止中だったこともあり、久々の街宣となった。
 
 開始時間は「4時」から「3時」に繰り上がったが、皆さんが来たのは結局、「4時」前後で、定刻に着いた私が1時間近く演説した。今回から、「ハッピ」と「パトランプ」が加わり、「奇抜なコスチューム」はさらにパワーアップした。握手を求める人、写真を撮る人がいる、やはり目立つからだろう。
 
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ドクター差別でっせ
 
 4時前にレノンさん、4時にタキタさん、4時半前にマスターさんが到着、それぞれ順番に演説した。皆さん久々なので、演説に力が入る。私も、もう一度、演説した。
 
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天気予報は「晴れ」だったが、最後にはパラパラ雨が・・・
 
 ところで、東横線の渋谷駅が取り壊されて地下駅になったが、これが結構、不便である。「街宣カート」があるとエレベーターが必須だが、エレベーターはあるものの、地下(5階のホーム)と地上を直接結ぶエレベーターがない。それどころか、一旦、上がって、それから下がって、再び上がる、という3段階でやっと地上に着く。あの「ヒカリエ」にもエレベーターはあるのだろうが、どうもよくわからない。
 
 さて、街宣も終わり、次は「任意確認乗車」・・・となるはずだが、夜の東横線は「女性専用車両」の設定がなくなり(注:元から、そんなものはないのだが)、「任意確認乗車」はできない。まあ、なくなったのは「良いこと」だが、(鉄道)会社の都合でそうなっただけ(注:副都心線との直通運転で実施が難しくなった)、痴漢がいなくなったわけでもないだろうし、女性から文句は出ていないのだろうか? 出ていないなら、一体、何だったのか? 
 
 というわけで、打ち合わせをした後は、何事もなく解散した。
 
  

 私・ドクター差別は最近、街頭演説する際、「奇抜なコスチューム」を着用するようにした。ところが、これが「賛成派」だけでなく仲間内にも「不評」で、「ドン引きした」だとか、「ドクター差別も、とうとう、おかしくなったのか?」などという感想が漏れ聞えてくる。そう言えば、そのコスチュームを見せたら、家族でさえドン引きした。
 
 しかし、こういう感想は「織り込み済み」である。一般の人なら、すなわち、常識的な人なら、そう思っても不思議ではない。反対運動をしているからと言って、仲間の大半は「一般の人」なのだから、「理解しろ」というのが無理な相談だろう。
 
 と言っても、「賛成派」、「反対派」を問わず、大半の人たちに「不評」だからと言って、この「奇抜なコスチューム」の意義は(何ら)否定されるものではない。私としては、「むしろ、奇抜なコスチュームをするのが遅すぎた」と思っているくらいである。とは言え、十年前には(奇抜なコスチュームを)思いつくこともなかったのだが。
 
要するに、十数年(試行錯誤を繰り返しながら)活動してきたからこそ、この「奇抜なコスチューム」を思いついたわけである。であれば、それ以下の活動経験しかなければ、あるいは、全く活動したことがなければ、「賛成派」であれ、「反対派」であれ、この「奇抜なコスチューム」の意義がわからないのも当然だろう。
 
そうそう、「奇抜」と言えば、私・ドクター差別が使っている「街宣カート」だって十分、「奇抜」である。私以外で、「街宣カート」で街宣をしている人を見かけたことはない。あるいは、「任意確認乗車」という「奇抜な発想」も私のオリジナルだし、未だかつて見たことも聞いたこともない「任意周知ジャンパー(&ポロシャツ)」も私の発案である。思い返せば、今までも十分、奇抜なことをやってきたわけである。
 
 ただ、今回の「奇抜なコスチューム」は、そのなかでも、その「奇抜さ」は群を抜いているだろう。そう言えば、私・ドクター差別のいでたち(の写真)を見て、「賛成派」の誰だかが「チンドン屋みたい」と言っていた。そう発言した人物は(「賛成派」だから)、たぶん、揶揄してのことだろうが、私は、そうは受け取らなかった。
 
 と言うのも、さすがに最近は見かけなくなったが、「チンドン屋」というのは、宣伝媒体としては、かなり効果的な手段だからである。でなければ、お店も(お金を出してまで)わざわざ「チンドン屋」を雇ったりはしないだろう。そして、それは、もちろん名前にあるように「チンドン」と打ち鳴らす楽器の効果もさることながら、「奇抜なコスチューム」を着ているからこそ目立つ、人に注目されるのである。
 
 実際、先日の渋谷での街頭演説で、「奇抜なコスチューム」を着て演説したら、立ち見は出るわ、2人から声を掛けられるわ、高校生5人には記念写真をお願いされるわで、「大盛況」だった。15年くらい街頭演説をやってきたなかで「一番の反応」と言っていいだろう。だからこそ、「むしろ、奇抜なコスチュームをするのが遅すぎた」というわけである。
 
 というわけで、「奇抜なコスチューム」は、(仲間内で)どんなに「不評」であろうと、今後も続けていくつもりである。なぜなら、この種の喧伝活動は、「目立ってナンボの世界」だからである。「目立たないようにやる」のなら、やらない方がマシ、時間と労力の無駄である。
 
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(注)なお、この試作品は、試した結果、あまりに不安定なので、「パトライト」と「ダルマ」は切り離し、それぞれに磁石をつけて「着脱式」にした。
 
 

 私・ドクター差別は、何度も言いますが、「差別の専門家」であって、「法律の専門家」ではありません。しかし、差別問題を扱う上で、法律を無視して、その是非を語ることは不可能です。ですから、「差別の専門家」であっても、その分野(=差別問題)に関わる(最低限度の)法律の知識が必要なのです。(注1)
 
もちろん、「法律がすべて」ではありません。むしろ、法律は不完全な代物です。しかし、まず、法律を尊重しなければならないのは、「法治国家」の国民としては当然のことです。(注2)
 
 たとえば、「女性専用車両」の問題でも、法律を無視してアレコレ言うのはナンセンスです。(注3) 憲法並びに法律及び条例等を無視して、鉄道会社が「営業戦略」だとか「女性向けのサービス」などと言って、「女性専用車両」を正当化しようとしたところで、何の意味もありません。あるいは、「賛成派」のように、法律を無視しておきながら、「ルール」だとか「マナー」などと言ったところで、何の意味もありません。
 
 ところで、「東大平行線」(=「早稲田田んぼ」=「健次郎」)の主張を見れば(「反面教師」として)おわかりでしょうが、(その場しのぎで)知っている法律を並べ立てるだけでは、折角の法律の知識が意味をなしません。だから、メビウスリングの議論掲示板で、「早稲田田んぼ」が(「反対派」の論客に)過去の発言と現在の発言の矛盾を指摘されたりするわけです。だから、「東大平行線」が、現行の「女性専用車両」に「鉄道営業法34条2号」を(無理矢理)適用させようとしても、現行憲法で「属性による差別が禁止されている」のですから、所詮、無理な相談です。(注4)
 
「女性専用車両」内の女性乗客のように「法律を知らない」のは論外ですが、法律をただ暗記するだけですと、「東大平行線」の二の舞になります。どういう場合に、どういう法律・条例等を適用するか、それがポイントです。でないと、「東大平行線」のように、憲法より法律を優先してしまう、女性乗客のように、法律よりマナーを優先してしまう、なんてことになりかねません。
 
 しかし、まあ、「賛成派」は、法律を無視する輩、又は、法律を曲解する輩ばかりです。これでは、(私らと)議論がかみ合わないのも当たり前です。と言うか、そもそも、議論になっていません。こちらが「ご教授」してあげているのに、それが理解できない、理解しようとしない、というのが実状です。
 
たとえば、「東大平行線」をはじめ、ごく一部の「賛成派」は、未だに「女性専用車両に男性は乗れない」と主張しています。しかも、何を勘違いしてか、私らに「男性も乗れる」という根拠を求めたりします。私らは、自分勝手に「男性も乗れる」と主張しているのではなく、鉄道会社が「男性も乗れる」と言うから乗っているだけですから、根拠を提示するイワレは何もありません。(注5) もし、それ(=男性が乗車できること)が信じられないなら、「東大平行線」らが、国交省や鉄道会社に問い合わせればよろしいでしょう。
 
と言うか、「女性専用車両に男性は乗れない」と主張するなら、そう主張する「東大平行線」らが、その根拠を示すのが道理です。「女性専用車両に男性は乗れない」という裁判例を示すなり、「女性専用車両に男性は乗れない」という国交省の見解を示すなり、「女性専用車両に男性は乗れない」と言っている鉄道会社を示すのが道理です。まあ、国交省や鉄道会社に問い合わせるのが一番簡単ですし、信頼度も高いでしょう。
 
 ところが、「東大平行線」らは、何やかや理由をつけて、絶対に(国交省や鉄道会社に)問い合わせをしません。それはなぜか? 問い合わせたら、自分らの主張がピント外れだとバレてしまうからです。
 
 つまり、「東大平行線」らも、実は、それ(=自分らの主張の独善性)に気づいていながら、強弁しているわけです。だから、現実から逃避し、「妄想の世界」から、「女性専用車両には男性は乗れない」、「男性が乗ったら、強制的に排除してもいい」などというウソ情報を垂れ流しているのです。ほとんど「病気」、ホント、罪作りな連中、無責任な連中です。
 
 
(注1)私・ドクター差別が(これまで)差別問題を扱ってきて、参考にした憲法並びに法律及び条例等の主な条項を以下に列挙する。なお、街頭演説関連(の法律・条例等)は「その他」に分類した。
 
●年齢差別関係
 
日本国憲法14条1項
労働基準法3条
職業安定法3条
雇用対策法10条
国家公務員法27条、同44条
地方公務員法13条、同19条2項
米国ADEA
アイルランド1998年雇用均等法
 
●男性差別関係
 
①女性専用車の場合
 
日本国憲法11条、同13条、同14条1項、同81条、同97条、同98条1項
鉄道営業法34条2号、同35条
鉄道事業法16条5項1号
道路運送法30条3項
鉄道運輸規程1条、同2条、同3条、同4条
不当景品類及び不当表示防止法1条、同2条2項、同4条
消費者基本法5条1項1号及び2号
消費者契約法3条1項
刑法95条、同174条、同176条、同193条、同204条、同208条、同223条、同231条、同233条 、同234条
刑事訴訟法198条1項、同213条、同217条、同336条
刑事訴訟規則143条の三
軽犯罪法1条20号
警備業法15条
民法415条、同709条
民事訴訟法312条1項
 
②痴漢冤罪の場合
 
刑法174条、同176条、同230条、同246条、同249条、同250条
迷惑防止条例5条1項(東京都の場合)
刑事訴訟法198条1項、同213条、同217条、同336条
刑事訴訟規則143条の三
 
③クオータ制の場合
 
雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律(=均等法)5条、同7条、同8条
男女共同参画社会基本法2条1号及び2号 、同3条
東京都男女平等参画基本条例2条1号及び2号、同3条1号、同7条1項(東京都の場合)
 
●人種差別関係
 
①小樽温泉人種差別訴訟の場合
 
日本国憲法14条1項
国際人権B規約26条
人種差別撤廃条約5条前文及び(f)、同2条1項前文及び(d)、同6条
民法1条1項、同90条
民事訴訟法第312条1項
 
②外国人参政権の場合
 
日本国憲法前文1項 、同前文4項
同7条、同9条1項、同10条、同11条、同12条、同13条、同14条1項、同15条1項、同15条4項、同16条、同17条、同18条、同20条1項、同20条2項、22条1項、同22条2項、同25条1項、同26条1項、同26条2項、同27条1項、同28条、同30条、同31条、同32条、同33条、同34条、同35条1項、同37条1項、同37条2項、同37条3項、同38条1項、同38条3項、同39条、同40条、同44条、同48条、同66条2項、同79条2項、同91条、同93条2項、同95条、同96条1項、同96条2項、同97条
公職選挙法9条1項、同9条2項
国籍法1条、同4条
 
●その他
 
①街頭演説に係る道路使用許可の場合
 
道路交通法77条1項4号及び2項
東京都道路交通規則18条(東京都の場合)
 
②街頭演説に係る騒音の場合
 
国会議事堂等周辺地域及び外国公館等周辺地域の静穏の保持に関する法律(=静穏保持法)1条
騒音規制法1条
環境確保条例の拡声機に係る基準(商業宣伝を目的とする拡声機の使用に係る遵守事項)
拡声機による暴騒音の規制に関する条例1条、同2条、同3条、同4条1号
 
(注2)「賛成派」のなかには、「法律さえ守っていれば、何をしてもいいわけではない。マナー違反だ」などと、私らの「女性専用車両」への合法的な乗車を批判する輩がいるが、「合法的な乗車」を批判するような輩に「マナー」を云々言う資格はない。
 
(注3)世の中には、法律に疎いまま、「女性専用車両」等の「男性差別」に関する本を出された方もおられるようだが、私なら、恥ずかしくて(=厚顔無恥ではないので)、到底そんなマネはできない。
 
(注4)「女性専用車両への男性の乗車を禁止する法律・条例をつくろう」と本気で言っている「賛成派」がいるが、それがつくれるくらいなら、今ある「鉄道営業法34条2号」を適用すればいいだけの話である。ただし、(憲法に反して)そんなことができるわけがない。
 
(注5)「旅客営業規則に女性専用車両の記載は一切ないので、そもそも、女性専用車両は存在しない。今あるのは『女性専用車(両)』という名の一般車両に過ぎない。だから、誰でも自由に乗れる」、「裁判所の判断、国交省の見解、鉄道会社の意向で、『女性専用車両には男性も乗れる』となっている」、「現行憲法では、属性による差別的扱いは禁止されているので、それに反して、何の落ち度もない男性を排除できない」など根拠は幾らでもあるが、これらの根拠を述べたところで、「東大平行線」らは理解できないのだから、言っても無駄である。であれば、国交省や鉄道会社に問い合わせていただくしかないのだが・・・彼らは(絶対に)それはしない。
 
 

ツイッターでのHNが「スチール@性差別反対」という「反対派」の方がおられます。まだ高校生だそうですが、これまで何度も「女性専用車両」に乗車されているようです。ところが、その「「スチール@性差別反対」さんが昨日(4月11日)アップした動画を視聴して、大抵のことには動じない私・ドクター差別が唖然としました。
 
何に「唖然」としたか、と言うと、JR東の運転士と駅員の言動(=暴言+α)に、です。私も以前、「あけぼの」に乗り込んだ仲間の見送りに上野駅に行った際、私らお客のことを「コイツ、コイツ」と言う駅員、「何なんだよ、さっきからうるせえんだよ」などと凄む駅員に遭遇したことはありますが、この「運転士と駅員」は、それらに勝るとも劣らない連中です。JR東には、なぜ、このようなタチの悪い駅員らがいるのでしょうか? (注:ちなみに、東急や京王、小田急などの民鉄では、態度の悪い駅員らはいるものの、チンピラまがいの言動をする者はいない)
 
ところで、「暴言+α事件」自体は、昨年12月7日の早朝に起こったことです。中央線の快速電車(=八王子駅午前8時33分発東京行き)の「女性専用車両」に乗った「スチール@性差別反対」さんが、運転士や駅員から暴言を吐かれ、強制排除されかかったのです。その一部始終を以下の動画で視聴できます。ただし、「反対派」の方なら、大変気分が悪くなりますので、その点はご注意ください。
 
YouTube
 
駅員による暴言+α
 
 「スチール@性差別反対」は高校生ですが、ツイッターの発言を見る限り、大変しっかりした方です。しかし、「なんで男がいるの?」みたいな言葉をネット上で見かける度に、この「事件」を思い出し、心が痛むそうです。この精神状態からすれば十分、「精神的苦痛を被った」と言える、「慰謝料を請求してもいいレベル」と言えるのではないでしょうか?
 
 しかし、まあ、JR東は、どういう社員教育をしているのでしょうか? まず、本社の意向(=「女性専用車両」は男性利用者の「任意の協力」で成り立っていること)が現場に伝わっていません。駅員らに、「鉄道営業法(34条2号)を適用する」とか、自分らが勝手に電車を停めておいて「営業妨害だ。警察を呼ぶ」などと、恫喝まがいのウソをつかせてはいけません。また、社会人としての言葉使いがなっていません。品がなさ過ぎです。
 
 とにかく、皆さん、(気をしっかりもって)動画を視聴して、(コメント欄に)ご意見、ご感想をお寄せください。お待ちしてます。
 
 ところで、念のために「おさらい」です。
 
①裁判所の判決、国交省の見解、鉄道会社の意向では、「鉄道営業法34条2号は、現行の女性専用車両には適用しない」となっている。
 
②「営業戦略」だろうが、「女性旅客へのサービス」だろうが、鉄道事業者は旅客に対して、属性を理由に差別的扱いをしてはならない。
 
③「女性専用車両に男性は乗るべきでない」というルールもなければ、「女性専用車両に男性は乗らないのがマナー」というものもない。
 
④電車を遅延させる張本人は、「任意の協力」をお願いするために(わざわざ)電車を止める鉄道会社である。(男性の)正当な乗車行為が営業妨害になるわけがない。
 
⑤「女性専用車(両)」という名の一般車両に粛々と乗車している男性を無理矢理降ろそうとすれば、刑法223条「強要罪」になる可能性がある。その際、男性の身体に触れて降ろそうとすれば、同法208条「暴行罪」になる可能性がある。
 
 

 私・ドクター差別は4月8日、10日、11日の3日間、東横線で「任意確認乗車」を行った。まだまだ「花粉症」の時季が終わっておらず、本格的な活動はもう少し後になるが、何もしないのも何なので、偵察がてら、「女性専用車両」に乗ってみた。と言っても、8日、10日は大倉山から綱島まで、11日は大倉山から日吉までの「短区間」である。
 
 しかし、わずか1駅、2駅でも、収穫は幾つかあった。まず、朝に警備員が配備されていることがわかった。(急行の停まる)綱島駅では、これまでも警備員を見かけたことはあるが、大倉山駅にはいなかった(と記憶している)、とくに朝は。だから、(朝に)警備員がいる、その目的は1つ、「女性専用車の案内」である。(注:皆さんは、ご存知だろうが、東横線は夜の設定がなくなり、朝だけになった)
 
 それから、「女性専用車」が5号車から端の車両(=1号車)に変わったので、ある程度予想していたことだが、(京王線の新宿駅のように)警備員がプラカードを持って立ちはだかり、男性が1号車に行かないようにガードしていた。まあ、私ら「選ばれし者たち」には何の影響もないが、一般の男性利用者にとっては迷惑な話で、これでは、「自分の乗りたい車両」に乗れなくなってしまう。
 
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警備員さんに「罪」はないが・・・(綱島駅)
 
 さて、乗車してわかったこともある。8日は、大倉山駅発午前8時40分くらいの各駅に乗った。ラッシュアワーを過ぎているので、どの車両も空いていたが、「女性専用車」内は、とくに「まばら」だった。しかし、男性は私だけだった。何事もなく綱島で下車した。
 
 10日は、大倉山駅発午前9時過ぎの各駅に乗った。ところが、8日よりは人が乗っていた。と言っても、「女性専用車」内は空いていて、余裕で座れた。一方、隣の車両(=2号車)は、座席が埋まっていて、チラホラ立っている人もいた。私が乗った時には、「女性専用車」に外人の男性と日本人の男性、2人が乗っていたのだが、私が乗って座って直ぐ、「女性専用車」と気づいたのだろう、隣の車両に移っていった。
 
 さて、鉄道会社は、この(2人の)行動をして「自主的に協力した」と強弁するのだろうか? 私には、到底、そうは思えない。「移りたくないのに、移った」としか思えない。ホント、罪作りな「女性専用車」である。
 
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プラカードを掲げる警備員(大倉山駅)
 
 11日は、9時過ぎに大倉山駅に行った。プラカードを持った警備員がいたので、「任意かどうか」を聞いたら、あっさり、「任意」と認めたので乗車した。隣の車両は、座席が乗客で占められ、何人かは立っている状態、一方、「女性専用車」内は、座っているのは約半分だけ、私は、「優先席」に座った。
 
 しばらくすると、隣の車両から高齢の男性が乗り込んで来て、私の座っているシートに座った。綱島駅で、60は過ぎている警備員が(車内に入っては来ないが)乗車口で、「ここは女性専用車ですので、移動をお願いします」と私らに声掛けしてきた。私はダンマリ、高齢の男性が困惑していると、その警備員はもう一度、同じことを言って、移動を促した。高齢の男性は、ヨロヨロとしながら、隣の車両に戻って行った。
 私は、もう少しで堪忍袋の緒が切れそうだったが、(あくまで偵察なので)自重した。ところが、その警備員は、(高齢の男性が移動して味をしめたのか)さらに、私に声掛けをしてきた。さすがに呆れて、「私は、痴漢じゃないぞ。何で移動しなくてはいけないのか?」と一喝した。その警備員は困惑した様子で立ちすくんでいたが、ほどなく、ドアが閉まって電車は発車した。
 
 日吉で下車、そこにも警備員がいたので、「任意だよね?」と聞くと、「(任意でも)優先車でなく、(女性)専用車ですから」、「決まりですから」などと言うので、「旅客営業規則に載ってないじゃないか」と突っ込むと、「駅員に聞いてください」と逃げ腰になった。
 まず、改札を出て、改札口の女性の駅員に、「警備員が『任意(の協力)』と言っていない。言わせるようにしてくれ」と言うと、「わかりました」とアッサリした返事。あまりにアッサリしているので、「今度来た時、警備員が『任意(の協力)』と言っていなかったら、本社に言うからね」とクギをさしておいた。

 改札を通り、ホームへ。ホームでは、警備員が大声で「女性専用車」の案内をしていたが、完全に無視して、反対方向(=横浜方面行き)の「女性専用車」に乗車した。すると、車掌がすっ飛んで来て、「まだ(=9時20分くらい)、女性専用車なんですが、隣へ移動していただけませんか?」などと言うので、「嫌です!」とキッパリ断わった。車掌は、それ以上は声掛けせず、引き下がったので、電車は定刻に発車した。これは、私らが再三再四、「電車を遅延させてまで声掛けするな!」と言ったおかげだろう。(注:しかし、女性乗客から通報があったら、どうするのか? 女性乗客に「男性も乗れます」と言えば済む話だが、それをせず、私らに声掛けするようなら、電車は遅延する可能性がある)
 綱島駅で途中降車、駅の詰め所に行って、若い駅員に、(ヨロヨロした)高齢の男性が警備員に移動させられたことを報告した。その駅員は、「(その高齢の男性が「ヨロヨロしていた」と聞いて)障害のある者の方は乗れますから」などとトンチンカンなことを言っていた。駅員が「誰でも乗れる」ということを知らないのか?
 しかし、まあ、東急電鉄は、(ヨロヨロした)高齢の男性よりも健常な女性を優遇して何とも思わないのだろうか? 8時半を過ぎたら、乗客は少ない。8時半以降の「女性専用車」は、「痴漢対策」ではなく、完全に「空いてて快適」という感じで利用されている。そういう車両から、(ヨロヨロした)高齢の男性を追い出すなんて、全くもって「ひどい話」である。
 
 なお、念のために申し上げるが、
 
①「痴漢対策」と称して、「痴漢でない男性を乗せないようにする」のは、論理的におかしい。
 
②「痴漢対策」なら、痴漢被害に悩む女性だけを乗車させるようにしないと、論理的におかしい。
 
③「男性恐怖症」だからと言って、男性を排除はできない。その病気を治すか、別の交通手段を使うしかない。(注:「黒人恐怖症」だからと言って、黒人を排除できないのと同じである)
 
 

 NHK職員の給与がカットされるそうです。最近は、頭に血が上るニュースばかりですが、久々の「朗報」です。
 
 んっ? NHK職員の平均給与は「約1200万円」(2011年度)ですと? これって、ウワサ以上、想像以上ですね。
 
 えっ? カットは「1割だけ」ですと? と言うことは、カットされた後でも、「年1000万円以上」は貰えるってことですか!
 
 はあ~? カットは「5年後を目途」ですと? 何で、「来年度から」ではないのですか?
 
 いやはや、いい加減にしていただきたい。冗談は顔だけにしていただきたい。(平均)給与は「600万円」で十分です。いや、「費用対効果」からすれば、「それ以下」でもいいくらいです。
 
 この際ですから、給与カットだけでなく、「大ナタ」を振いましょう。NHKは近年、公共放送でありながら、(民放の真似をして)くだらない番組が多すぎます。まずは初心に返り、ためになる番組づくりを心がけましょう。
 
お笑い芸人を使った低俗番組、無駄にお金を使うだけの旅番組・グルメ番組、女性を過度に礼賛する偏向ドラマなんぞやめましょう。ニュースや天気予報、教育放送など、最低限度の情報提供に徹しましょう。そうすれば、人員カットもできますし、予算カットもできます。もちろん、受信料も低く抑えることも可能です。
 
 そもそも、NHKは、公共放送であるにもかかわらず、「視聴率」を気にしすぎです。民放でやっていることの「二番煎じ」をしてどうするのか? 「視聴率」に関係なく、(国民の)ためになる情報を提供する、それが公共放送の使命でしょう。
 
と言うか、視聴率に右往左往されないことこそが、公共放送としてのNHKの(唯一の)長所なわけです。民放には、決してできないことです。それを放棄して、それを軽視して、どうするのか、どうなるのか?
 
 NHKは「国営」でもないのに、なぜか、かつての国鉄と同じ、「親方日の丸体質」です。最初に戻りますが、「(1200万円の)一割カット」、「(カットは)5年後を目途」などというノホホンとしたことを言っているようでは、「世間(=民間)の常識」が通用していない、と言わざるを得ません。「朗報」どころか、段々、むかついてきた「ふざけるのも、いい加減にしろ!」です(怒)
 
 

 「日本で一番良い大学はどこだと思いますか?」という問いに対して、「東京大学」と応える人は、その答えに何の疑問も持たないのでしょうか? もしそうであれば、極めて「短絡的」です。「良い大学」というのは、「頭の良い学生が集まる大学」とは限りません。と言うか、そもそも、「何を基準に『頭が良い』というのか?」すら、定かではありません。
 
 「良い大学」は、入試の難易度で決まるものではありません。冷静に考えれば、「当たり前」ですよね? 大学の校風、大学施設等の充実度、教授陣の質、妥当な学費、その学生のニーズに合っているかどうかなど、様々な要素があります。
 
 とは言え、「頭が良い学生が集まる大学」は、傍から見れば、とくに、受験生の親からすれば、「良い大学」となるのでしょう。では、そもそも、「頭が良い」とはどういうことなのでしょうか? どういう基準で、「頭の良さ」は、決められるのでしょうか? 
 
日本の入学試験は、たぶん、「暗記中心」でしょう。「たぶん」というのは、私・ドクター差別が受験した頃はそうでしたが、「たぶん」今も大して変わっていない、基本は「暗記中心」だろう、と思われるからです。まあ、入試には、時間的制約がありますから、物理的には、それ(=暗記力)くらいしか測れないでしょう。(注:後述の「演繹的思考能力」の基礎的な部分は測れるだろう)
 
 では、その「暗記力の優れた学生が最も集まる大学」は、「最も頭の良い学生が集まる大学」なのでしょうか? それに答えるには、「頭の良い」という条件は何なのか、を考える必要があります。「暗記に長けていること」が、頭の良い条件でしょうか? 
 
たしかに、「暗記に長けている」というのは、「頭が良い」という1つの要素ではあるでしょうが、他にも要素はあります。と言うか、より高尚な要素があります。それは、演繹的思考能力であったり、機能的思考能力であったりするわけです。演繹的思考能力とは、ある原理原則を一般的事象に応用する能力のことです。一方、機能的思考能力とは、一般的事象からある原理原則を見出す能力のことです。
 
 ところが、演繹的思考能力や機能的思考能力というのは測りづらい、とくに、短時間では測れません。入試(のわずかな時間)では、到底、無理です。ですから、東大生が「頭が良い」というのは、あくまで、「暗記力」に関して、と思っていいでしょう。(注:ただし、「東大生が、演繹的思考能力や機能的思考能力に長けていない」ということではない。「それらを基準に測っていない」というだけの話である)
 
 まあ、統計学的に言えば、「暗記に長けていること」と「頭が良いこと」には、ある程度の相関関係はあるでしょうが、決して「イコール」ではありません。なぜなら、「暗記力」と演繹的思考能力や機能的思考能力には、ある程度の相関関係しかないからです。テレビでよく、「東大VS京大の頭脳対決」なんて番組をやっていますが、そのほとんどが暗記したことを競うものですから、それに勝ったからと言って、「日本で最も頭が良い大学生」とはなりません。
 
 ところで、「東大神話」には、悪い側面があります。それは、2つの側面があって、1つは、「東大生が、自分は頭が良い」と勘違いすることです。単に「暗記力があるだけ」なのに、「自分は、頭が良い」と勘違いしてしまうわけです。周りもチヤホヤするので、勘違いが増幅されます。
 
 もう1つは、東大卒でない人、とくに、「東大受験」に失敗した人が、劣等感を持つ場合があることです。私の知り合いにもいましたが、「東大に落ちて、早稲田の政経に入った」という男性でしたが、何かにつけ、「東大に落ちたこと」を自虐的に言っていました。こういう「劣等感」は、後々の人生にマイナスになりこそすれ、決して、プラスにはなりません。「早稲田の政経」だって、(学歴からすれば)十分ですよね? 後は、自分次第です。
 
 そもそも、20歳そこらの「出来、不出来」で、(後々の)長い人生を決めてしまうのは、いかがなものか? 人には「可能性」というものがあるのです。それを、まず、自分が信じる、そして、社会も、その可能性を信じるべきでしょう。違いますかね? もちろん、「学歴差別」はもってのほかです。
 
 であれば、「20歳そこらの出来、不出来(=学歴)」で「終身雇用するかしないかを決める」なんて制度、おかしいと思いませんか? いわゆる「新卒(限定)採用」です。これって、経営者側にとっては「リスク」がありますし、能力のある人にとっても「雇用の機会」が制限されているわけで、両者にとって「良いこと」ではありません。ちなみに、欧米では、「新卒(限定)採用」は、「不当な差別」と見なされています。
 
 

いや~、「カジノ合法化」の問題を取り上げたら、予想以上に反響(=反対意見)がありました。で、その「反対意見」のほとんどが、「(カジノの)合法化」云々以前に、「ギャンブル自体に反対する」というものでした。要するに、「ギャンブル=悪」あるいは「ギャンブルは(メリットはともかく)デメリットが大きすぎる」というわけです。つまり、議論としては噛み合っていないわけですが、それを踏まえた上で、もう一度おさらいしましょう。
 
 まず、申し上げたいのは、「物事の良し悪しは、それがもたらすメリットとデメリットを考慮し、総合的に判断されなければならない」ということです。自分勝手な価値観や思い込みでアレコレ言うのは、それはそれで自由ですが、説得力はゼロです。それは、議論ではなく、無責任な「言いっ放し」です。
 
 では、「カジノ合法化」のメリットをあげてみましょう。
 
①財源が確保できる
 
「ギャンブル」は、必ず、胴元が儲かる(ようにできている)。これほど確かな「投資」はない。それに引き換え、政府はこれまで、国民から預かったお金をどれだけ無駄に投資し、目減りさせてきたことか!
 
一方、「カジノ」を国営又は公営にすれば、直接、その「アガリ」が国や地方自治体の財源となる。これを年金の財源などに使えば、もしかしたら、消費税を上げなくてもいいかも知れない。仮に、民営にするにしても、税収は確実に上がる。
 
②地方の活性化になる
 
集客が見込める地域のほか、かつての勢いがない観光地に誘致すれば、その地域の活性化も期待できる。東京、大阪のほか、沖縄、宮崎、熱海、そして、東北の被災地なども候補地にあげられる。
 
③雇用が創出される
 
ホテル、道路、交通網等の建設・整備に関する一時的な雇用を生み出すだけでなく、各種サービス関係の永続的な雇用も創出される。
 
④観光立国の目玉になる
 
 日本への外国人観光客は、さて、1年で何人か? 約400万人である(注:ビジネス等を含めた外国人旅行者は年600万人である)。一方、ラスベガスの観光客は、1年で何人か? 約4000万人である。一国が一都市に負けている、しかも、圧倒的に負けている。
 
 まあ、ラスベガスの数字は、外国人だけの数字ではないが、それにしても、差がありすぎる。政府(=観光庁)は、2008年に「2010年までに外国人旅行者を年1000万人へ」との目標を掲げたが、未だに達成されていない。掛け声だけで、「策」がない。
 
 しかし、日本には、「温泉」という大きな武器がある。それと「カジノ」を絡めることで、世界に類を見ない「一大観光地」をつくりだすことができるだろう。これなら、後発であっても、他国の「カジノ都市」に十分、対抗できる。
 
⑤老若男女が楽しめる「総合エンターテイメントシティー」をつくる
 
「カジノ」、「カジノ」と言っているが、実は、「カジノ」だけではない。もちろん、メインと言うか、そもそもは「大人のための施設」、「大人のための遊園地」なわけだが(注:「子供のための遊園地」は日本にも幾つもあるが、大人が楽しめる施設が「パチンコ」だけではあまりにも寂しすぎる)、ラスベガスのように、会合、ショー、アトラクション、ショッピング、グルメ、近隣の景勝地巡りなどが楽しめる都市づくりを目指せば、さらに、日本の場合は「温泉」も絡めれば、より健全に老若男女が楽しめる「総合エンターテイメントシティー」をつくることが可能である。
 
⑥「非合法カジノ」が一掃される
 
数兆円規模と言われる「非合法カジノ」は、なぜ、なくならないのか? 一説には、「警察のなかに、取り締まりの情報を流す輩がいる」とも言われている。その真偽は定かではないが、「非合法カジノ」がなくなっていないのは事実である。
 
ところで、「非合法カジノ」をなくすのは、簡単である。それは、「合法カジノ」をつくればいいだけである。「合法カジノ」ができれば、捕まるかも知れない危険を冒して、わざわざ「非合法カジノ」へ行く人はいないだろう(いても、少数)。であれば、「非合法カジノ」は、自然と衰退・消滅する。
 
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▲年間4000万人の観光客が訪れるラスベガス(ニューフォーコーナー)
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▲有名なベラッジオ(ホテル)の噴水ショー、もちろん無料
 
 まあ、良いところばかりが目立つ「カジノ合法化」ですが、では、次に、「ギャンブル反対派」の言い分をあげてみましょう。
 
①「ギャンブル依存症」が様々な弊害を生む
 
 すでに「ギャンブル依存症」は存在するので、「カジノ合法化」によって「ギャンブル依存症」の人が増える、というのでなければ、ここ(=「カジノ合法化」の話のなか)で「ギャンブル依存症」のことをアレコレ言うのはピント外れである。では、「カジノ合法化」によって「ギャンブル依存症」の人が増えるのか? これは「対策次第」で、キチンと対策(=入場者の資格制限)をすれば、「カジノ合法化」で「ギャンブル依存症」の人が増える、ということにはならない。
 
 ところで、一般論として、「○○依存症の人がいるから、○○は悪」というのは、あまりにも短絡的である。これでは、タバコも、お酒も、ゲームも、異性交遊も、何でもかんでも「悪」となってしまう。ほとんどの人は節度をもって楽しんでいるにもかかわらず、である(注:「ギャンブル依存症」になるのは、ギャンブルを楽しむ人の約3%と言われている)。
 
 なお、もっと根本的な話をすれば、「依存症」の話は、「依存症」とは無縁の人にとっては、何の関係もない話である。「ギャンブル依存症の人がいる」からと言って、「ギャンブル依存症にならない人にギャンブルをするな」というのは、それこそ「余計なお世話」である。ギャンブルをしたくないのであればしなければいいだけで、他人のことに口出しするのは、「お節介」も甚だしい。
 
②カジノ周辺の環境が悪化する
 
 「勝手な想像はやめて、まず、ラスベガスに行ってみてください」としか言い様がない。ラスベガスは、夜中の2時、3時でも、安心して外出できるアメリカでは数少ない町の1つである。(注:もちろん、危険な場所がないわけではない)
 
 なお、日本でも、カジノの建設は、周りに配慮する形で行われるに決まっている。何も、閑静な住宅地のど真ん中にカジノを建設するわけではない。東京で言えば、TDLに近い「埋立地」の周辺、他県でも似たり寄ったりである。
 
 それよりも、現状の方が余程、環境に悪いのではないか? 駅前に必ずある「パチンコ店」、まあ、ギャンブルには関係ないが、風俗店もそこかしこにある。むしろ、そちらを心配した方がいいだろう。
 
③「ギャンブル=悪」である
 
 これは、「カジノ合法化」とは直接、関係はないが、それ以前の(根本的な)問題として言及すれば、「そう考える人もいれば、そう考えない人もいる」という話である。で、「ギャンブルをしたくない人はしなければいい」、「ギャンブルをしたい人はすればいい」という話で済めばいいのだが、(残念ながら)そうはならない。なぜなら、「ギャンブル=悪」と考える人は「自分がしない」というだけでは飽き足らず、「他人もするな」と主張するからである。まあ、「ギャンブル=悪」と考えているわけで、そんな「悪」が社会に存在してはいけない、という正義漢からなのだろうが、他人からすれば、自分勝手な価値観の押しつけ、「余計なお世話」に他ならない。
 
 ところで、本当に「ギャンブル=悪」なのだろうか? 私・ドクター差別からすれば、と言うか、客観的に見ても、覚醒剤どころか、タバコよりも「害」はない、いや、お酒よりも「害」はない、と思われるのだが?
 
「ギャンブル」に熱中し、子育てそっちのけで遊ぶ母親もいる? 車内に放置して死ぬ子もいる? それは、「ギャンブル」のせい? いいえ、その母親のせいである。
 
そういう親なら、どのシチュエーションでも、その危険性はある。「母親が、子供を海水浴に連れて行き、子供をほったらかして、海の家でビールを飲んでくつろいでいたら、子供が溺れてしまった」という場合、その責任はどこにあるのか? 「ビール」のせいか? 「海」のせいか? いいえ、母親のせいである。
 
 まさか、「子供が溺れてしまったこと」は、「ビール」や「海」のせいにはしないだろうに、「車内に放置して死ぬ子」がいたら、それは「ギャンブル(=パチンコ)」のせいにする、まさに、「ダブスタ」である。
 
 どうみても、「ギャンブル反対派」の言い分には、説得力がありません。それは「女性専用車両」賛成派と同様、「初めに結論ありき」、その結論に合う理屈を並べ立てているだけだからです。「女性=弱者」という思い込み、「ギャンブル=悪」という思い込み、その「思い込み(=自分勝手な価値観)」を他人に推しつける、「女性専用車両に乗る男性は悪者(=駄目な人間)」、「ギャンブルをする人は悪者(=駄目な人間)」と非難する、やっていることは同じです。
 
 

 「カジノ合法化」の話をすると、必ず、「大反対」という連中が現われます。まるで、「女性専用車両」に賛成する連中と同じです。どちらも、自分勝手な価値観を振りかざす「差別主義者」です。
 
 「女性専用車両」に賛成する連中は、「女性専用車両は善であり、それに反対するのは悪である」と(いう趣旨のことを)主張します。そして、「女性専用車両」を肯定する人あるいは「女性専用車両」に乗ろうとする男性を「悪人(=駄目な人間)」と決めつけます。「女性専用車両」の(メリットと)デメリットなどは全く無視、思い込み(=自分勝手な価値観)で「善」と決めつけているだけです。
 
 一方、「カジノ合法化」に反対する連中は、「カジノ合法化は悪であり、それに反対するのは善である」と(いう趣旨のことを)主張します。そして、「カジノ合法化」を肯定する人あるいはギャンブルをする人を「悪人(=駄目な人間)」と決めつけます。「カジノ合法化」のメリット(とデメリット)などは全く無視、思い込み(=自分勝手な価値観)で「悪」と決めつけているだけです。
 
 そして、こういう「決めつけ」は、ほぼ間違いなく、差別に繋がります。「女性専用車両」に賛成する連中は、「女性専用車両」に反対する人あるいは「女性専用車両」に乗ろうとする男性の人格否定(=誹謗・中傷)を平然とするのです。同様に、「カジノ合法化」に反対する連中も、「カジノ合法化」を肯定する人あるいはギャンブルをする人の人格否定(=誹謗・中傷)を平然とするのです。
 
 まあ、どういう理由で、そうなったかは、人それぞれでしょうが、「初めに結論ありき」だと大抵そうなります。「女性専用車両=善」、「女性=弱者あるいは被害者」という思い込みが、初めに結論をつくり出し、聞く耳を持たなくなってしまうのです。同様に、「ギャンブル=悪」、「ギャンブルを肯定する人あるいはギャンブルをする輩=悪人」という思い込みが、初めに結論をつくり出し、聞く耳を持たなくなってしまうのです。
 
 ところで、ギャンブル(=賭博)の定義は、「偶然の事情によって財物の得喪を争う行為」だそうです。ここで問題になるのが「偶然の事情」という言葉です。要は、「運だけに左右されるケース」ということでしょうが、ギャンブルのなかには「運だけに左右されるケース」と「運だけではケース」があるのです。(注:財物の得喪を争わない場合は、ポーカーをやろうが、麻雀をやろうが、もちろん、「ギャンブル」ではない)
 
 では、「運だけに左右されるケース」と「運だけではケース」とは、どういうことでしょうか? たとえば、「運だけに左右されるケース」というのは、「宝くじ」がその典型でしょう。「どこどこの売り場が当たりやすい」と言ったところで、所詮、「売り上げが大きく、当たりくじが多い売り場」というだけの話です。
 
 一方、ギャンブルでありながら、「運だけではないケース」というのは結構、あります。と言うか、「ド素人なら運だけ」だけれども、「プロなら運だけではない」ということです。その典型がポーカーです。ポーカーが配られたカード及び捨取したカードの優劣だけで勝敗が決まるのなら、「世界選手権」なんぞがあるわけがありません。これは、麻雀も同じでしょう。
 
 と言うか、多かれ少なかれ、こういう要素は、前述の「宝くじ」ようなギャンブルを除けば、どのギャンブルについても言えるのではないでしょうか? 競馬も、競輪も、競艇も、統計や情報を駆使すれば、運以上の成果が期待できるのではないでしょうか? パチンコもそうでしょう。
 
 であるならば、「偶然の事情によって財物の得喪を争う行為」という定義は、いささか「不適格」なような気がいたします。実際は、「偶然の事情と個人の技量によって財物の得喪を争う行為」というわけです。つまり、「ギャンブルにも、将棋や囲碁のように、勝負事の要素がある」というわけです。
 
 そうそう、経済活動は、まさに「ギャンブル」と言っていいでしょう。「投機」はもちろん、「投資」についても「ギャンブル」の部類に属すると言っていいでしょう。「ギャンブル」を否定したら、資本主義経済は成り立ちません。
 
 

 「アベノミクス」のおかげで、株価や地価が上昇、賃金もアップ、景気も上向いているようである。しかし、(一応、経済学部は出ているが、経済は素人同然の)私・ドクター差別ではあるが、その実体が見えないのがどうにも気にかかる。「もしかして、掛け声だけのバブルではないのか?」と危惧している。
 
 かと言って、まさか、あの「女性を優先的に(公務員や)管理職にさせる」なんてスローガンが、その「起爆剤」ではあるまいな? もし、そうだったら、目も当てられない。「女性だから」という理由で、(公務員や)管理職にさせる? おいおい、そんなことをしたら、「能力主義」を否定したら、景気が良くなるどころか、日本全体の弱体化、衰退は必定である。
 
 私・ドクター差別が提唱する「起爆剤」は、ここでは何度も取り上げているが、「カジノの合法化」である。まあ、将来的には民間の参入もあるのかも知れないが、まずは、国営・公営カジノの承認である。また、世界のカジノ都市と同様、ギャンブルだけでなく、会合、ショー、アトラクション、ショッピング、グルメ、そして、日本なら温泉も加えて、「総合エンターテイメント都市」の実現を目指すべきだろう。
 
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▲ピラミッド型のホテルまで(ラスベガス)
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▲どちらも無料のアトラクション▼
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 これなら、経済としての実体は一目瞭然で、様々な効果が期待できる。まさに、日本経済の「起爆剤」になり得る、と言うか、なることは間違いない。なお、その経済的・社会的メリットとしては、
 
①ホテルや道路の建設、交通網の整備、その他で多くの雇用を生み出す。
②国営にすれば、年金の財源にあてることができる。公営にすれば、地方の財源確保になる。
暴力団等が絡む(数兆円規模と言われる)「非合法カジノ」は、「合法カジノ」ができれば、衰退・消滅する。
 
などがあげられる。(注:唯一の大きなデメリットである「ギャンブル依存症」の問題は、外国人中心にしたり、所得制限を設けるなどの対処法がある)
 
 ところで、この「カジノ」の問題は、国会でも何度か取り上げられているが、なかなか話が進まないのが現状である。その1つの要因に、法務関係の議員や官僚の反対があると言う。この件、並びに、その他カジノに関する様々な問題については、この道の「専門家」である木曽崇のブログ(http://blog.livedoor.jp/takashikiso_casino/)に詳しい解説が載っている。
 
 この問題を正しく認識するのは、まず、「ギャンブル=悪」という色眼鏡で見ないことである。こういう先入観があると、正しい判断はできない。それは、「女性=弱者」、「女性=被害者」などという思い込みがあると、正しい判断が下せない、「冤罪」、「でっち上げ」が起こる、のと同じである。
 
 なお、以前にもご紹介したが、日本では、今のところ「カジノは合法ではない」が、外国では、極めて一般的である。「カジノを合法化している国(と地域)」は、ザッとあげても、以下の通りである。
 
●アジア・太平洋=韓国、マカオ、フィリピン、インドネシア、マレーシア、カンボジア、シンガポール、ベトナム、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、アメリカなど
 
ヨーロッパ=イギリス、フランス、スペイン、ドイツ、イタリア、フィンランド、モナコ、ポルトガル、オランダ、トルコ、デンマーク、ロシア、ポーランド、ルーマニア、ブルガリアなど
 
 このほか、南米、アフリカでも、「カジノを合法化している国」は数多い。
 
 

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