私・ドクター差別は、政治活動を15年、NPO活動も15年、合計30年ほど社会活動をやっております。とくに、後半の15年は、自己責任で、しかし、だからこそ、好きなこともできるわけで、いろいろ工夫をしながら、活動して参りました。まあ、「長ければいい」というものでもございませんが、何しろ、私はいろいろ工夫するタイプなので、「やればやるほど良くなる」という感じはしております。
たとえば、15年前は、選挙(=大田区議選)で使った拡声器の1つを(電動)自転車に搭載し、都内で街頭演説をしておりました。しかし、いくら電動自転車とは言え、その行動範囲は、せいぜい、城南地区(五反田、大井町、蒲田、自由が丘など)どまりでした。そこで、(神奈川県への)転居を契機に、自転車をやめ、今の「街宣カート」にいたしました。
自宅に格納されている「街宣カート」の雄姿
このカートには、いろいろ工夫がされております。買ったカートの車輪は写真のものより(かなり)小さく、道路の凹凸を敏感にひろってしまうものでした。そこで、大きな車輪を購入し、付け替えました。また、ポール(3本)を運ぶための筒も取り付けました。ポールも電車に乗車する際、邪魔にならないように、2段式のものから3段式のものに変えました。その他、いろいろ工夫してあります。
最近、ドクター差別の「奇抜なコスチューム」が話題になっておりますが、考えてみれば、この「街宣カート」も、かなり「奇抜」です。実際、私以外で、このような「街宣カート」を使っている人を見かけたことはございません。つまり、ドクター差別は、かなり前から「奇抜なこと」をしてきたわけです。今さら、「奇抜なコスチューム」云々もありません。
と言うわけで、次は「奇抜なコスチューム」の話です。これには、想定はしていましたが、「賛否両論」があります。しかし、誰が何と言おうと、この「奇抜なコスチューム」を止める予定はございません。なぜなら、私らがしている社会活動は、「目立ってナンボの世界」だからです。もし止めるとするば、「奇抜なコスチュームが(意に反して)目立たない」とわかった場合か、「その代わりに(さらに)目立つことが見つかった」という場合でしょう。
右から、「帽子」、「ダルマ」、「パトランプ」
この「帽子+ダルマORパトランプ」も、工夫が必要でした。最初は、帽子にダルマを両面テープで留めましたが(注:この両面テープもいろいろあって、4つくらい購入して、一番くっつきやすいものを使用した)、さらにパワーしてパトランプを間に挟もうとしたら、かなり不安定で、それは諦めました。そこで、ダルマとパトランプを両方活用するために、帽子に鉄板を貼り付け(注:この鉄板を見つけるのも結構面倒だった。ステンレススチールにも磁石でくっつくものと、くっつかないものがあるらしい)、磁石を使って「着脱可能」にいたしました。パトランプには元々、磁石がついていましたが、ダルマには、市販の磁石を4つ付けました。ちなみに、「ダルマ」は「私らの活動は(七転び八起き)我慢の活動である」、「パトランプ」は「私らの活動は社会に対して警鐘を鳴らす活動である」という意味が込められております。
それから、半纏をつくりました。今までにも「任意周知Tシャツ」、「任意周知ポロシャツ」、「任意周知ジャンパー」はつくりましたが、今回は「ドクター差別(個人)の半被」です。ドクター差別(個人)をアピールする半纏です。
目立つようで目立たない?
まあ、「ドクター差別(個人)の半纏」と言っても、個人的な使用目的でつくったわけではありません。あくまで、「ドクター差別」をアピールすることで、私(ら)のやっている活動を広く世間にアピールできたらいいな、という発想でつくられたものです。でなければ、こんなメッシュの半纏、着ても「防寒にも、防風にも、防塵にもならない」ので、意味がありません。
ただ、この半纏、街頭演説の場で着ているよりも、普段着ている方が「目立つ」ようです。街頭演説では、他の人も相当奇抜な服装をしている場合がありますから、この程度の「半纏」では目立たないかも知れません。一方、この前の中央線快速で「女性専用車」に乗車した際、ホームで「この半纏」を着たら、皆、見ておりました。振り返って見る人もおりました。
そうそう、これから、ドクター差別は、この半纏を着て「女性専用車」に乗車します。(注:と言うか、普段から着るということですが) そうなりますと、「任意周知乗車」ではなく、「ドクター差別乗車」ということになります(笑)