2013年07月

 「女性専用車両」に賛成する人は、なぜか、「痴漢に遭う確率」と「服装」を関係づけられることを(極端に)嫌います。「反対派」が、「露出が多いから、痴漢に遭う」などと言うと、顔を真っ赤にして(?)怒ります。たぶん、女性(側)に少しでも「非」がある、と言われるのが嫌だからでしょう。では、「賛成派」の言うように、「痴漢に遭う確率と服装には、全く関係がない」のでしょうか?
 
 ある「賛成派」は、「(露出の多い服装よりも)おとなしそうな女性が痴漢に狙われる」という統計を持ち出してきました。たしかに、「おとなしそうな女性は、痴漢されても声を出さない。だから、捕まりにくい。だから(痴漢に)狙われる」ということはあるかも知れません。しかし、これは「露出が多いと痴漢に狙われやすい」ということを否定するものではない、何の関係もありません。実際、その統計でも、「5%」の痴漢が「露出の多い服装に刺激された」と答えているそうです。
 
 まあ、この「5%」は決して高い数値ではありませんが、「痴漢に遭う確率と服装には、全く関係がない」という「賛成派」の主張は、いみじくも「賛成派」の示したこの統計で、すでに破綻しています。「顔を真っ赤にして(?)怒る」のは、明らかに、筋違いです。しかも、痴漢は、第一に「捕まらない」ことを考えるでしょうから、まず「おとなしそうな女性だから」という選択をしても、2番目、3番目の選択で、「露出の多い服装に刺激された」と答える可能性があります。まあ、この統計では「複数以上の回答も可」としているようですが、1番目を回答したら、2番目、3番目を回答しない場合も結構あるでしょう。であれば、「露出の多い服装に刺激された」と思っている痴漢は、「5%」よりももっと多い可能性があります。あるいは、自分では意識していなくても、「露出の多い服装に刺激された」という痴漢がいるかも知れません。
 
 別の資料で、これ(=無意識に刺激を受けている)を示唆する統計があります。以前、同じメビウスリングで、どなたかが示された統計なのですが、アメリカの刑務所で、そこに収容されている性犯罪者300人に対して、「(以下の)何に興奮するか?」を調べたのです。「脳波検査」ですので、無意識下の刺激反応です。
 
92%が肌色の布
87%が肌色の紙
80%が白い布
61%が白い紙
42%が赤い布
40%が赤い紙
7%が灰色の布
7%が灰色の紙
 
に興奮した、とのことです。
 
 これは、つまり、「肌色」と「白」に興奮する、「紙(=ゴワゴワしたもの)」よりも「布(=やわらかいもの)」に興奮する、というわけです。これを総合すると、「肌の露出の多い、風になびくような、白い服」に性犯罪者(たぶん、一般の男性も同じ)は興奮する、という解釈も成り立つでしょう。
 
 ちなみに、私・ドクター差別は、「痴漢に遭うかどうか」ではなく、「痴漢行為を防ぐ」という観点から、「物理的に痴漢行為ができない服装(=たとえば、極端な話だが、「鎧」を着れば、ほとんどの「(身体を触るなどの)痴漢行為」は防げる)」、「物理的に痴漢行為がしにくい服装」をすることを奨励しています。もちろん、「強制」ではありませんが、痴漢犯罪に遭いたくなければ、すなわち、痴漢被害に遭いたくない度合いが強ければ強いほど、「物理的に痴漢行為がしにくい服装」を着るというのは「当たり前」でしょう。
 
ところで、「痴漢に遭うかどうかは、性別、年齢、容姿、服装、立ち居振る舞い、法律又は条例、防犯対策等が関係する」ということに異論のある方はおられるのでしょうか?
 
①性別
 
 女性は男性よりも痴漢に遭う確率は高いのか?
 
②年齢
 
 10代、20代の女性は、他の世代の女性よりも痴漢に遭う確率は高いのか?
 
③容姿
 
 「美人」、「かわいい」、「おとなしそう」などの要素は、痴漢に遭う確率と関係しているのか?
 
④服装
 
 「露出の程度」と痴漢に遭う確率の間には関係性があるのか?
 
 「物理的に痴漢行為ができにくい服」と「物理的に痴漢行為ができやすい服」では、痴漢に遭う確率に違い、あるいは、痴漢されにくい確率に違いはあるのか?
 
⑤立ち居振る舞い
 
 「周囲に注意を払っている人」と「周囲に注意を払っていない人」とでは、痴漢に遭う確率に違いはあるのか?
 
⑥法律又は条例
 
 「痴漢行為を(厳しく)罰する法律又は条例がある」のと「痴漢行為を(厳しく)罰する法律又は条例がない」のでは、痴漢犯罪が起こる確率に違いがあるのか?
 
⑦防犯対策
 
 たとえば、「監視カメラがある」のと「監視カメラがない」のでは、痴漢犯罪が起こる確率に違いがあるのか?
 
 ちなみに、私は、いずれも、「関係性がある」と思いますが、皆さんは、いかがでしょうか?
 
 

 「女性学」と称する似非学問がある。一方、私・ドクター差別が提唱する「差別学」は、至極、真っ当な学問である。さて、そろそろ、両者の(大きな)違いを述べる時が来たようである(笑)
 
 まず、「女性学」が似非学問である証左は、それが「初めに結論ありき」のところから明らかである。しかも、「女性学」と謳っているにもかかわらず、その主たるテーマは、「いかに男が悪い(生き物な)のか」なのだから、笑ってしまう。男性を「悪者」にしなければ、すなわち、(社会に)女性差別があると(仮定)しなければ、社会に存在する「男女格差」を「性差の結果」として認めなければならなくなる、からである。(注1)(注2)
 
 たとえば、「女性学」からすると、「女性は男性よりも劣っていない(=結論)はずなのに、管理職や役員に女性が少ないのは、なぜか?」と考える。そして、そこから導き出される「(女性が少ない)原因」は、「(社会に)女性差別があるからに違いない」、「男社会だから女性が不利になっている」というわけである。「(女性)差別を是正するためだから、女性を優遇しても、女性を優先しても、それは(不当な)差別ではない」というわけである。(注3)
 
結局、「女性差別がある」、「男が悪い」としないと、「女性学」は成り立たない。「女性学」に洗脳された女性が言っていたが、「機会の平等」は「形式的平等」とのことである。「男社会」のなかでは、「結果の平等」こそ「実質的平等」らしい。つまり、(「ポジティブ・アクション(=クオータ制)」(注4)によって)女性を優遇する、女性を優先することが「実質的平等」というわけである。しかし、これは、「女性だから」という理由で採用・登用するということ、「男性だから」という理由で採用・登用しないということであり、すなわち、「能力主義の否定」と言っていい。
 
 一方、「差別学」は、「諸々の事象(=事実)を元に帰納的推論によって結論を導き出そうとする学問」である。簡単に言えば、「差別とは何か?」を研究するのが「差別学」である。「真理を探求する」のだから、正真正銘の「学問」と言える。もちろん、「初めに結論」もなければ、「(変な)バイアス」もない。
 
 まあ、「差別とは何か?」と言っても、「差別学」を学んでいなければ(=私・ドクター差別の言っていることを真面目に聴かなければ)、その答えは容易ではなかろう。世の中には、「差別」と「区別」の区別すらつかない人も多い。「不当な差別」と「妥当な差別」の違いがわからない、いや、そういう分類があることすら知らない人も多い。まして、「何が合理的な差別なのか?」、「合理性とは何か?」がわかっている人は、ごく少数だろう。
 
 もし、多くの人たちが、この「差別学」を学べば、日本は(確実に)良くなるはずである。なぜなら、「何が差別なのか?」がわかれば、「差別」を回避することが可能だからである。と言うのも、大抵の「差別」は、「差別を差別と思わない」から、「差別と思っても、大したことではない、と思う」から、形成・助長されるからである。「イジメ」が差別だとわかれば、「年齢制限」が差別だとわかれば、「女性専用車両」が差別だとわかれば、「クオータ制」が差別だとわかれば、それを回避することも可能になる。
 
 ところが、その反対、もし、このまま、「女性学」が(社会に)蔓延るようなら、日本はどうなるか? ますます悪くなるのは間違いない。なぜなら、「女性学」の主張するところは、「男性差別」だけでなく、「能力主義の否定」だからである。「女性学」の主張するところを具現化したもの(の典型)が「クオータ制」であり、この「愚策」、この「亡国政策」が役所だけでなく、民間企業にも波及すれば、日本の弱体化は必定である。
 
 
(注1)私の知るところでも、女性のこと、女性にまつわることを真面目に研究している人たちがいるが、そういう人たちの研究は「女性学」の範疇には入らない。問題なのは、「痴漢」、「セクハラ男」、「DV男」などの「ダメ男」ばかりを取り上げ、男性を悪者にして、男性を小馬鹿にして、悦に入っている似非学者どもである。
(注2)「男性よりも女性が劣っている」のではなく、男性と女性では、一般的に、向き不向きに違いがあり、それが職業的偏り、地位的偏りになっている可能性がある。だから、たとえば、「消防士に男性が多い、保母さんに女性が多い」のである。なお、社会的に指導的地位に就いている女性は少ないのだろうが、家庭で指導的地位に就いているのは、大抵、女性である(苦笑)
(注3)「公務員に女性が少ない」のは、①「(客観かつ公平な)筆記試験」では男子の方が女子よりも合格率が高い、②男子の受験者の方が女子の受験者よりもかなり多い、からである。にもかかわらず、人為的な操作で、女子の合格者を多くすれば、「男女平等」の観点から、「労働効率」の観点から、大いに問題である。「管理職・役員」についても同じことが言える。
(注4)「ポジティブ・アクション」の典型は「クオータ制」で、どんな屁理屈を並べ立てても、その不当性は払拭できない。また、能力が(男女)同等なら女性を優先的に取り扱う「プラス・ファクター方式」、達成すべき目標と達成までの期間の目安を示してその実現を目指す「ゴール・アンド・タイムテーブル方式」、ポジティブ・アクションを積極的に推進している企業を政府や自治体が優遇する「インセンティブの付与」なども(男性)差別を助長している。なお、「ポジティブ・アクション」のなかでも、たとえば、「女性に公務員採用試験をもっと受けるように働きかける」というのなら、その程度の「ポジティブ・アクション」は許容されるだろう。
 
 

私・ドクター差別は、「選ばれし者たち」(注1)の1人である、との自負(=自覚と誇り)はあるが、もちろん、聖人君子ではない(笑) だから、「差別意識」、「偏見」を(全く)持っていない、というわけではない。しかし、そういう「差別的な考え」を(極力)少なくしようと努力はしているし、それを(言動として)具現化しないように(極力)注意している。
 
 たとえば、中共もそうだが、朝鮮(=韓国及び北朝鮮)に対して、その国、と言うか、その民族を全否定する人たちがいるが、私は、そういう人たちとは組みしない。もちろん、私とて、「愛国者」であり、「反日(勢力)」に対しては毅然とした態度で臨むが、それを一般の人たち(=「反日思想」を持っていない人、あるいは、親日的な人)にまで拡大するのは、「ミソもクソも一緒くた」、「差別」以外の何物でもない。これでは、「痴漢のほとんどは男性だから」(注2)と、「女性専用車」と称する一般車両から(痴漢でない)男性を追い出す女性乗客と何ら変わりはない。
 
 そもそも、「反日」でない人、いや、むしろ、「親日的な人」を「反日の人」と(単に、同じ朝鮮民族だからと)一緒くたにする主義・主張は、どう考えても理屈に合わないし、私には理解できない。この理屈(=民族差別思想)からすれば、「反日日本人」は、単に、同じ大和民族だからと、糾弾しないことになるのだろうが、これでは「ダブル・スタンダード」と言われても仕方あるまい。「日本人」だろうが、どこの国の人であろうが、「反日」には厳しく対処すべき、それが「愛国者」である。(注3)
 
 たとえば、
 
>韓国出身で日本に帰化した評論家の呉善花(オ・ソンファ)・拓殖大学国際学部教授が、韓国への入国を拒否され、そのまま日本に引き返していたことが2013年7月28日明らかになった。・・・韓国側は入国拒否の理由を明らかにしていないが、呉氏は韓国に対して厳しい論陣を張っていることで知られ、13年7月に入ってからも、韓国のハングル優先政策が未だに韓国人が(金大中元大統領を除くと)ノーベル賞を受賞できていない原因のひとつだとする主張を展開し、韓国メディアから批判が噴出した矢先の出来事だった。(J-CASTニュース 2013年7月28日)
 
というニュースを見かけたが、こういう女性学者を、単に、「朝鮮人だから(=実際は「帰化日本人」なのだが)」と「反日朝鮮人」と一緒くたにしていいものだろうか? 
 
もちろん、いいはずがない。批判されるべきは、思想・信条によって差別する「韓国政府」、それに圧力をかける「反日勢力」の方だろう。まあ、(韓国)政府としては、そういう「問題の女性」を入国させるとトラブル(=事件)になる、その女性の身の安全を保障できない、という「親心」もあるのだろうが、たぶん、その女性とて、そのくらいは「百も承知」で行動しているのだろうから、それは「余計なお世話」である。
 
 ところで、「ミソもクソも一緒くた」にする「(日本人の)民族差別主義者」は、たとえば、自分の身内が重い病にかかり、それを治せるのが朝鮮人の医師しかいない、あるいは、中国人の医師しかいない、といった場合、それでもなお、「朝鮮人差別」、「中国人差別」を貫けるのだろうか? おそらく、「そんなことは起こらない」と仮定自体を否定するのではないか? でないと、自分の主義・主張(=民族差別主義)が崩壊してしまうからである。
 
 その意味では、「女性専用車両」に賛成する連中も「同じ」だろう。もし、電車が(事故で)転覆し、「女性専用車両」から傷ついた女性乗客を助け出そうとするのが、日頃、毛嫌いし、隣の車両に追い出していた男性だとしたら、「男と一緒に乗りたくない」などとのたまっていた女性は、その助けを拒否するのだろうか? おそらく、「そんなことは起こらない」と仮定自体を否定するのではないか? でないと、自分の主義・主張(=男性差別主義)が崩壊してしまうから。
 
 属性に関係なく、すなわち、人種・民族、出身地・国籍、性別、年齢、容姿、職業、学歴等に関係なく、人には、「良い人」もいれば、「悪い人」もいる、「親切な人」もいれば、「犯罪者」もいる。これが「真実」である。それがわからないようでは、属性によって差別するようでは、「人間失格(=差別主義者)」である。
 
 そうそう、蛇足だが、「差別主義者」が使う統計は、(全くのデタラメもあるだろうが)「事実は事実だが、それは事実の一部であって、真実ではない」ということが多い。まあ、そういう(中途半端な)統計を使って、「差別」を正当化するわけだが、所詮、「後づけの屁理屈」、「真に受ける」ととんでもないことになる。
 
たとえば、「中国人は日本人の10倍犯罪者が多い」という統計が(仮に)正しいとして、「だから、中国人は日本から出て行け!」という主張は正当かどうか? まず、この「10倍」というのが「数」であるなら、人口差からして、日本と中共の犯罪率は「ほぼ同じ」ということになり、中国人が出て行かなければならないなら、日本人も出て行かなければならなくなる。また、この「10倍」というのが「割合」ならば、たしかに、そういう「事実」は問題だが、その前に注目にすべきは、「犯罪者というのは、所詮、全体のごく一部だ」という「事実」の方である。(注4) 日本の「犯罪者率」が「1000人に1人」なら、その10倍の中共の「犯罪者率」は「1000人に10人」で、残りの「990人」は「(犯罪者ではない)善良な人」ということになる。10人の犯罪者のせいで、990人の善良な人に「出て行け!」と言うのは、不合理極まりない、立派な「差別」である。
 
 これが、いわゆる「印象操作」である。そもそも「犯罪者」なんてのは、どこの国でも「(ごく)少数」なのに、「(日本の)何倍だ」、「(日本人の)何十倍だ」などと言って、かの国の人たちがまるで「全員、犯罪者」であるかのように吹聴する。それによって「差別」を正当化するわけだが、賢明な人(=選ばれし者)であれば、そんな「トリック」は簡単に見破れるだろう。
 
さて、あなたは、「選ばれし者」か、「差別主義者」か、どっちなのか? ちなみに、「選ばれし者」は、「男性差別」に反対するが「女性差別」にも反対する、「反日(本人)」に反対するが「反○○人」にも反対する、年齢差別にも反対するし、障害者差別、職業差別、学歴差別、容姿差別、疾病差別、出身地差別などの(不当な)差別にも反対する。一つの差別には反対だが、その一方の差別あるいは別の差別には賛成、では「差別主義者」というレッテルを貼られても仕方あるまい。
 
(注1)この「選ばれし者たち」という表現については、「反対派」のなかからも、「不遜」だとか、「傲慢」だとか、「世間の人たちが聞いたら、カルト(宗教)かと思うのでは?」などの批判があるが、私は、そういう批判を想定してもなお、あえて、この「選ばれし者たち」という表現を使っている。と言うのも、「選ぶ」のは神様でも、仏様でも、あるいは、何(誰)でもいいのだが、「普通の人たちが差別と思っていない差別、あるいは、差別と思っていても大した差別ではないと思っている差別に気づくのは、自分が(天から)そういう能力・資質を与えられたからだ」という(くらいの)自覚と誇りを持ち合わせていない限り、(世間が「(不当な)差別」だと思っていない時点で)その差別をなくそうとすることは(まず)あり得ないからである。つまり、(不当な)差別をなくそうとする活動への「動機づけ」の意味で、「選ばれし者たち」という表現を(あえて)使っているわけである。逆説的に言えば、「選ばれし者たち」という自覚と誇りがない人は、この種の活動を(長く)続けるのは難しい、というわけである。
(注2)痴漢のほとんどは男性だが、男性のほとんどは痴漢ではない。と言うか、たとえ、男性のかなりの割合が痴漢だと仮定しても、痴漢でない男性にとっては(痴漢のしでかすことについては)何の関係もないし、何の責任もない。同様に、「反日」でない中国人、朝鮮人にとっては、その割合がどうであれ、(反日中国人や反日朝鮮人のしでかすことについては)何の関係もないし、何の責任もない。
(注3)「反日○○人に対して、(他の人たちよりも)厳しく対処する」というのは、「差別」ではあるが、「妥当な差別」である。もし、これ(=妥当な差別)を否定してしまったら、「反日」という「(日本又は日本人)差別」を許してしまうことになる。
(注4)「ごく一部の犯罪者のせいで、それらと同じ属性を有する人たち全体(=犯罪者でない人たち)を差別するのは、「女性専用車両」も「同じ」である。「ごく一部の痴漢のせいで、痴漢と同じ属性(=男性という性)を有する人たち全体(=痴漢でない男性)を一般車両から追い出そうとするのは、男性差別、不当な差別以外の何物でもない。
 
 

 先日(7月26日)のの「任意確認乗車」の際の出来事を「YouTube」にアップしました。残念ながら、「男性に見える女性乗客A」とのやり取りは入っておりません。運転士は、もう1人、(自由が丘で)声掛けに来ましたが、同様に説明したら、これまた「納得」していました。「任意」と(男性利用者に)知らせないで「任意の協力」をしてもらおう、なんて、どだい、無理な相談です。
 
●YouTube
 
女性専用となります? どういう根拠で?
 
 

私・ドクター差別がメビウスリングやツィッターなどで「賛成派」とやり取りをしていて、一番ビックリしたのが、「自己防衛意識の欠如」です。「痴漢に遭いたくなければ、まず、自己防衛をしましょう」と至極、当たり前のことを言ったら、「痴漢が悪いのに、なぜ、悪くない女性が自己防衛しないといけないのか!」などととんでもないことを言うのです。なるほど、こういう考えからだからこそ、(他人がどうなろうと)自己防衛をしないで済む「女性専用車両」に賛成するのでしょうね(汗)
 
痴漢が悪い? 当たり前です。痴漢行為は犯罪ですから、「痴漢が悪い」のは当たり前です。もちろん、痴漢に遭う女性が悪いわけではありません。
 
 しかし、犯罪に遭いやすい人は、犯罪に遭わないように気をつける、これまた「当たり前」です。お金持ちは「空き巣」に入られないように気をつける、高齢者は「母さん助けて詐欺」に遭わないように気をつける、(痴漢に遭いそうな)女性は痴漢に遭わないように気をつける、これを「当たり前」と思わない神経が(私には)理解できません。
 
 ところで、「賛成派」は、自己防衛しないで済む「女性専用車両」に慣れてしまった(痴漢に遭いやすい)女性が自己防衛をしないがために「女性専用車両」以外の場所で痴漢に遭う、いや、それ以上の(性)犯罪に遭う、ということについては、どう考えているのでしょうね? そんなのは(ただの)空想? いいえ、「賛成派」自身が自己防衛を否定しているのですから、「女性専用車両」以外の場所、すなわち、「自分を守ってくれるもの」がないシチュエーションでは、自己防衛をしない女性が痴漢に遭う、それ以上の(性)犯罪に遭う、というのは極めて現実的な話です。
 
 世の中には、良い人はたくさんいるが、悪い人も結構います。だから、「自分の身は自分で守る」という鉄則を忘れてはいけないのです。「女優が、海外に1人で出かけて、現地の名勝やグルメを紹介する番組」をよく見かけます。しかし、それは、実際は「女の一人旅」ではありません。男性スタッフが何人かついているから、安全に撮影できているのです。
 
 もし、本当に女性が1人で海外に行ったら、そんなわけにはいきません。にもかかわらず、そういう番組を見て、「海外っていいわ。私も行きたい(もてたい)」などと、女性が1人で、あるいは、女友だちと2人で海外に出かけたら、とんでもない事件に巻き込まれる可能性は「ゼロ」ではない、いや、結構、「高い」でしょう。何しろ、日本にいる時と同じ「感覚」で、肌を露出した服装で、フラフラとショッピングやグルメを楽しむ、寄って来る見た目「かっこいい」男にホイホイついて行く、という(日本人)女性が結構、いるらしいですから。まあ、それで、お金をせびられる、盗まれるだけならまだ「良い方」で、レイプされる、それも多数の男たちに、いやいや、それだけで済まない場合もある・・・数日後、山中で遺体となって発見される、なんてことも(実際)あるわけです。
 
 ところで、「賛成派」は、「(痴漢に遭いやすい)女性は、服装に気をつけましょう」と言うと、なぜか、激しく「拒否反応」を示します。どんな服装をしようと個人の自由? はい、(公序良俗に反しない限り)どんな服装をしようと自由ですが、痴漢に遭いたくないのであれば、痴漢を刺激するような服装、痴漢行為がしやすい服装は避けた方がいい、というのは、賢明な女性であれば「当たり前」でしょう。
 
 もちろん、こちらとしては、別に(服装に気をつけることを)強要しておりませんし、そのつもりも全くありません。ただの「アドバイス」です。まあ、しかし、それに従いたくない人(=賛成派)にとっては、私らの「親切なアドバイス」は「余計なお世話」でしょう。はい、ですから、「痴漢に遭ってもかまわない」と思っているのなら、「親切なアドバイス」に従わないのも「自由」です。
 
 まあ、「親切なアドバイス」に従わないだけなら、こちらとしてもアレコレ言いません。ところが、自己防衛も(ロクに)せずに、(「女性専用車両」なんぞつくって)痴漢でない男性を排除しようとすれば、こちらとしては「他人事」では済まなくなるというわけです。自分(ら)に「迷惑」が降りかかれば、単なる「親切なアドバイス」では収まらない、キッチリ、「ダメ出し」を出すのは「当たり前」でしょう。
 
 

私・ドクター差別とエリーさんは東横線 大倉山駅 で待ち合わせ、「任意確認乗車」を行った。渋谷駅で、レノンさんと合流、副都心線、千代田線、半蔵門線で「任意確認乗車」を継続した。その後、表参道から原宿経由で渋谷まで「任意周知歩行」をし、午後は、二度に分けて街頭演説を行った。
 
東横線では、まず、元住吉で運転士の声かけがあった。私が、「任意(=男性も乗れる)と言わないと、任意の協力はできない」と言うと、頷いていた。ところが、男性が乗っていることに納得しない女性乗客Aが、エリーさんの顔を写真で撮ろうとして、エリーさんと言い合いになった。まあ、電車内で写真を撮っても刑事上は別に問題ないが、他人の顔をこれ見よがしに撮影し、(エリーさんが)「撮るのをやめて」と言っても撮り続ければ、民事上は(「人格権」の侵害ということで)問題になるだろう。(注:ただし、犯罪行為を行った者については、「撮らないで」は通用しない。証拠写真を撮られても文句は言えない)
 
 その女性乗客Aが、「してねえよ(=「顔がわかるようには撮影していない」の意味?)」と言ったので、言葉使いを注意した。その後、「見た目で(男性と)判断して『乗れない』というのはおかしくないか?」と言うと、「それでいい」と言うことだったので、 「実は、あなたが乗って来た際、男性かと思った(注:エリーさんに確認したら、エリーさんも「そう思った」そうである)」と言ったところ、(別に降りる必要はないのだが、自分が「それでいい」と言ってしまった手前)「なら、仕方がない」と言い残して降りてしまった。まあ、「男性に見えた」と言っても、比較的短めの頭髪で、黒いシャツに黒いパンツ、立ち居振る舞いがそうさせたわけで、別に「マッチョ系男子」には見えたかったのだが・・・
 
 そのほか、長身の女性乗客Bも、私らにイチャモンをつけかけたのだが、女性乗客Aも降りてしまったので、いつの間にか、女性乗客Bもいなくなり、それ以上の「騒ぎ」にはならなかった。
 
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混雑差は歴然!
 
(レノンさんとの待ち合わせ時間まで時間があったので)自由が丘で乗り換えたら、別の運転士も(同じように)私らに声かけしてきた。しかし、元住吉と同様、「任意と言わないと、任意の協力はできない」と言うと、これまた、同じように納得していた。
 
中目黒で停車中、ドア付近にいたら、駅員(3人)が声かけしに来るのが見えた。そこで、外に向かって、「元住吉でも、自由が丘でも声をかけられた。いい加減にしてくださいよ」と言うと、3メートル手前くらいでUターンして戻ってしまった。拍子抜けである(笑)
 
渋谷駅で「女性専用になります」を書かれたステッカーを目にしたので、駅員を呼び、「『女性専用になります』は、どう考えてもおかしい。『女性専用』になるわけがない。せめて『女性専用車にしています』くらいの表現にすべきだ」と是正を要請した。まあ、「女性専用車にしています」というのも「おかしい」のだが、それなら「女性専用車(という名の車両)にしています」と解釈できなくもないので、「女性専用になります」よりは、マシである。
 
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何を根拠に「女性専用」となるのか?
 
 そうこうしているうちに、(午前)8時になり、レノンさんと合流した。その後、副都心線で明治神宮前へ、そこから千代田線で大手町へ、そこから半蔵門線で表参道へと「任意確認乗車」を行った。これらの各線では、とくに何事もなかった。
 
表参道から渋谷までは「任意周知歩行」をすることにした。しかし、青山通り(経由)ではなく、まず、原宿に行き、そこから、渋谷を目指した。カンカン照りではないが、湿度が高いので、肌がベタベタしてあまり気分は良くない。
 
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あの「竹下通り」で~す
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落書きはやめようね
 
 渋谷近くの喫茶店で涼をとり、(午後)1時過ぎから、私、エリーさん、レノンさんの3人で(一度目の)街頭演説を行った。 携帯拡声器を使っての演説である。宮益坂口は、来る度に変化していて、今回も前回とは違っていた。
 
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1時からの街宣
 
 一度目が終わったら、徹夜明けのエリーさんは帰宅、マスターさんが来るまでファーストフード店で待つことにした。マスターさんから連絡があり、「(午後)3時半に来る」とのことなので、それまで待機した。ファーストフード店内では、レノンさんのポロシャツの背中の文言を見て通り過ぎる人が続出、15~16人は見ていただろう(注:私も「任意周知ポロシャツ」を着ていたが、自分のことはわからない)。まさに、「任意周知ポロシャツ」の威力は絶大である。
 
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3時半からの街宣
 
 3時半ちょっと前になったので、ファーストフード店を出て、マスターさんの到着を待った。しばらくすると、マスターさんが、拡声器を持って登場した。最近、マスターさん、と言うか、「男性差別を許さない市民の会」は、「(子宮頸ガンや乳ガンのような)女性特有のガンの検診には無料クーポンがあるのに、(前立腺ガンという)男性特有のガンの検診には無料クーポンがないのは男女差別である」ということから、「男性特有のガンの検診にも無料クーポンを」という署名運動を始めた。それを訴えたら、早速、数人から署名があった。
 
 ちょっと遅れて、タキタさんも加わった。参院選もあり、皆さん、久しぶりの演説だったが、いつもと変わらず、迫力ある演説を披露した。と言っても、近くに「宝くじ売り場」があったので、音量は控えめ、スピーカーの向きも反対方向にするなど、配慮した。(注1)(注2)
 
(注1)今回(警察官は)来なかったが、「うるさい!」という苦情でやって来た警察官が「道路使用許可」の話をするのはピント外れである。「うるさい!」という苦情なら警察官は「騒音」を問題にすべきである。なお、もしも「通行の妨げになっている」という苦情が入った場合であれば、警察官が「道路使用許可」の話を持ち出してもおかしくはないが、実際に「通行の妨げになっている」のであれば、「道路使用許可」を取っている、取っていないにかかわらず、直ちに「通行の妨げ」を止めなければならないのは言うまでもないことである。
 
(注2)私らの演説している場所の真ん前に、工事関係の「騒音」を測る装置があり、「音量表示」が出るので、「ああ、このくらいの音量なら、これくらいのデシベルなのか」ということを知ることができた。なお、「10メートル離れて85デシベル以上」だと「暴騒音」と見なされ、(条例により)規制の対象となる場合がある。ただし、これはあくまで「目安」で、固いことを言ったら、(政党の)街宣車による演説は「すべてアウト」になるだろう。ちなみに、選挙期間中は、公職選挙法により「騒音」の規制はないが、候補者は「暴騒音」を出せば選挙民から顰蹙を買うだけだから、自粛するはずである。
 
 
 
 

【終了】8月3日 都内を「任意周知歩行」の後、「全国男性復権を目指す会」の集会に参加しました。
 
【終了】8月9日 早朝、東横線その他で「任意確認乗車」をした後、都内で「任意周知歩行」をしました。その後、新宿駅南口で街頭演説を行った後、京王線で「任意確認乗車」をしました。
 
【終了】8月16日 早朝、東横線等で「任意確認乗車」をした後、都内で「任意周知歩行」をしました。その後、渋谷駅宮益坂口で街頭演説をしました。
 
【終了】8月23日 早朝、東横線等で「任意確認乗車」をした後、都内で「任意周知歩行」をしました。その後、上野駅広小路口で街頭演説をしました。
 
【終了】8月31日 新橋で「差別ネットワーク」の8月ミーティングを行いました。その前に、機関車前で街頭演説をしました。
 
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わざわざライトさんが会いにいらっしゃいました
 

 選挙(の話)の続きのような感じだが、私・ドクター差別が「維新の会」を(そこそこ)評価している点は、橋下・石原の両代表が「カジノ合法化」に積極的だからである。まあ、「ギャンブル=悪」と考えている人たちには、所詮、理解はできないだろうが、冷静に考えれば、「カジノ合法化」は、デメリットよりもメリットの方が遥かに大きい「良質の経済政策」と言えるだろう。「思い込み」や「感情論」で「カジノ」に反対する、これほど馬鹿げた話はない。
 
「アベノミクス」でも何でも良いのだが、とにかく、今の日本(経済)には「(効果的な)景気対策」が必要なのは、周知の事実である。しかし、名前はどうであれ、株価(の上昇)や円安に頼るだけで、実体の伴わない「景気対策」は、「景気対策」とは(到底)言えない。これでは「痴漢犯罪の減らない痴漢対策」、「男性も乗れる女性専用車両」と同じで、何も改善されない。
 
 「本当の景気対策」は、「雇用を創出し、企業が儲かり、地方経済が活性化し、(国や自治体の)税収が上がる方策」である。「カジノ」は、まさに、その意味での「救世主」と言える。「カジノ」が合法化され、「カジノ特区(注:宮崎、熱海などかつて観光地として栄えた都市、大阪や東京などの大都市、東北の被災地などがその候補に上げられるだろう)」を指定し、そこに「一大観光リゾート」をつくり、世界中から観光客を呼び込めば、その経済的効果は計り知れない。とくに日本には、「温泉」という「大きな武器」があるのだから、後発でも、世界各国の「カジノ」に十分太刀打ちできるだろう。
 
 もちろん、「カジノ」と言っても「ギャンブルだけが売り」ではない。アメリカのラスベガスのように、「ギャンブル」はもちろんだが、「ホテル巡り(注:巨大なテーマホテル自体が観光スポットになっている)」、「ショッピング」、「グルメ」、「ショー」、「無料アトラクション」、「近隣の景勝地巡り」など(注:前述の通り、日本には「温泉」もある)、「総合エンターテインメントシティー」を目指せば、「より健全性の高い景気浮揚策」なるだろう。実際、ネバダ州のクラーク郡(=ラスベガス都市圏)では、(数年前の話だが)収入337億ドルのうち、ギャンブルによる収入は(わずか)87億ドル、主たる収入源は、ホテル宿泊費、食費、ショッピングなど、とのことである。(注:蛇足だが、「カジノ収入では、マカオがラスベガスを抜いた」そうだが、他の要素を考慮すれば、ラスベガスの方がマカオよりも「まだまだ格上」だろう)
 
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巨大なテーマホテル巡りはそれだけで観光になっている
 
 ちなみに、「カジノ」を合法化している国及び地域は、アジア・太平洋では、韓国、マカオ、フィリピン、インドネシア、マレーシア、カンボジア、シンガポール、ベトナム、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、アメリカなど、ヨーロッパでは、イギリス、フランス、スペイン、ドイツ、イタリア、フィンランド、モナコ、ポルトガル、オランダ、トルコ、デンマーク、ロシア、ポーランド、ルーマニア、ブルガリアなどである。このほか、南米、アフリカでも、「カジノを合法化している国」は数多い。
 
 まあ、「カジノ」の話になると、結局、「健全性」が問題になるのだが、
 
違法カジノ対策=「カジノ」を合法化しないから、「違法カジノ」が蔓延る(注:「違法カジノ」の規模は数兆円と言われている)
ギャンブル依存症対策1=「カジノ」は「特区」に限定する(注:どこの駅前にもあるパチンコ・パチスロ(店)の方が「依存症」という観点からは問題だろう)
ギャンブル依存症対策2=「カジノ」は、主に「外国人の富裕層」をターゲットにして、必要であれば「ドレス・コード」も設ける
国営又は公営=民間企業に任す手もあるが、「より公正さを求める」のであれば、国や自治体が経営する形態にすれば、管理もしやすいし、直接、税収を確保できる
 
など、「合法カジノ」がギャンブルの「健全性」に貢献する、また、やり方次第で、幾らでも「健全性」を保つことは可能なのである。少なくとも、現状よりは「ベター」な方向に向かうことは間違いない。たとえば、「カジノ合法化と違法カジノの問題は別。違法カジノはそれを取り締まればいいだけの話で、それでカジノ合法化を正当化できない」などという人がいるが、「現実には、違法カジノを取り締まることが非常に難しいから、違法カジノが存在するわけである。しかし、もし合法カジノができれば、(危険を犯して、ぼったくり覚悟で)わざわざ違法カジノなんぞに行く必要がなくなるので、違法カジノは(自然と)淘汰される」というわけである。
 
と言うか、そろそろ、「ギャンブル=悪」という思い込みは、この世から払拭されるべきである。「ギャンブル」は、「人生の縮図」であり、節度さえ守れば、むしろ、「教訓」さえも得られるものである。
 
 ギャンブルから教訓? 「ギャンブル=悪」と思い込んでいる人たちからすれば信じられない話だろうが、「事実」である。ギャンブルは、「運、不運」に大きく左右される。しかし、その「運、不運」には「波」があり、「良い波を逃さず、それに乗るかどうかが勝敗の分かれ目」あるいは「良い波と悪い波を見極め、いつ止めるかが勝敗の分かれ目」になる。しかし、その「勝負勘」は、勝ち負けを何度も経験することでしか身につかない。
 
この「波」の話は、「人生」に大いに応用できる。「人生」にも、「ギャンブル」同様、勝負しなければいけない場合があるが、「良い波を逃さないで成功するか、良い波をみすみす逃してそのチャンスを逃すか」、「悪い波を見極めて、勝ち逃げできるか、ズルズル負けこんでいくか」は、「ギャンブル」で身についた経験がものを言うに違いない。(注:「ギャンブル」でなくても、「勝負事」なら同じである)
 
 そうそう、チャンスと言えば、「人生には、大きなチャンスが3度ある」なんて話を聞いたことがある。私・ドクター差別は「いい歳」だが、もう1度くらいチャンスが残っているような気がしている。何しろ、「選ばれし者たち」の1人として、そういう機会が与えられているのだから、たぶん、そうなのだろう(笑)
 
 

 参院選が終わりました。「自公大勝」、「ねじれ解消」などという言葉が新聞やテレビで踊っています。果たして、そうでしょうか? それで良いのでしょうか?
 
①自公大勝?
 
 「自公が大勝した」というよりは、「対抗勢力がこけた」というのが「正解」でしょう。(国民が期待して)民主党に政権を取らせたものの、「散々な政治」をしてしまったせいで、民主党への国民の信頼は地に落ちました。一方、橋本徹(&石原慎太郎)率いる「維新の会」、渡辺喜美率いる「みんなの党」は大同団結できないまま、選挙戦に突入しました。「1人区」や「小選挙区」の選挙では、「大同団結」しない限り、野党は勝てません。
 
 すでに、選挙前から「勝敗がついていた」のでは、それをマスコミが報じれば、国民が白けるのは当然です。それが今回の「低い投票率(=52%程度)」につながっているのでしょう。ですから、「自公が大勝した」というよりか、「国民が(失望し)戦線離脱してしまった」というべきではないでしょうか?
 
 しかし、これを勘違いして、「自公」が暴走したら、そのツケを払うのは国民です。もう、すでに「消費税を(予定通り)上げる」なんて話が聞こえています。(円安を口実に)物価が徐々に上昇し、給料も大して上がらないにもかかわらず、(益税の解消もせず)消費税を上げられては、国民の生活が良くなるはずはありません。
 
②「ねじれ解消」は良いことか?
 
 ところで、新聞に「ねじれ解消」などと書き立てられると、テレビで何度も言われると、まるで「ねじれ」が悪いことのように聞こえますが、そうなのでしょうか? 実際、衆参で「ねじれ」があると、「(野党の反対で)円滑な政策決定ができない」などと言う人がいますが、本当でしょうか? 「ねじれ」があるからこそ、(衆議院の)暴走を止められる、(参議院としての)チェック機能が作用するのではないですか?
 
 もし、衆参とも「同じ勢力」が牛耳っていたら、そもそも、参議院はいらなくないですかね? 以前から、「衆議院のコピー」と言われ、「参議院不要論」があるなか、参議院の存在価値は、「ねじれ」があればこそでしょう。まあ、かつての「自社対立」の構図の場合だったら、「ねじれは政治の停滞を招く」というのも説得力がありますが、(与党と野党で)防衛・外交・エネルギーなどの重要政策でそれほど差がないのであれば、「ねじれ」はデメリットよりもメリットの方が大きいと言えるでしょう。
 
③各政党のあるべき方向性は?
 
 前回、私・ドクター差別は、「自民党に投票すると、現状を丸々肯定するようで、しっくりこない」という趣旨のことを申し上げました。実際、その通りなわけですが、その思想や政策自体は、むしろ、「私の思想・信条に一番近い」と感じております。ただ、政治には「利益誘導」が多かれ少なかれ存在するのは「当然のこと」としつつも、大企業、医師会、農協といった「すでに既得権益を十分得ていて、政治的恩恵をこれ以上必要としない勢力」の代弁者になっている、というのが、どうしても気になります。
 
 さらに、気がかりなのは、「小選挙区制」になってから、自民党は公明党と深い関係にあることです。もちろん、どの政党と連携しようと、その政党の勝手ですが、「軒先を貸して、母屋を取られる」なんてことにならないか、他人事ながら気になります。各選挙区に「2万票」ある、と言われる創価学会票欲しさに、公明党の言いなりになる、なんてことだけは止めていただきたいものです。(注:その兆候は、「女性にやさしい公明党」と一緒になって「女性優遇策(=クオータ制)」を推進しているところにも垣間見られる)
 
 一方、野党の抱える問題も深刻です。共産党、社民党などは独自でやっていただくとして、問題は、民主党、維新の会、みんなの党です。
 
民主党は、このままでは、かつての社会党と同じ運命でしょう。もはや、「民主党ブランド」の信用は回復不能です。まあ、解党して他党に合流するか、解党しなくても所属議員が他党に移籍して自然消滅するしかないでしょう。
 
 維新の会とみんなの党は、衆院選の前、あるいは、次の参院選の前までに、一緒になるべきでしょう。でなければ、今回と同様の結果、多少は躍進しても、「政権を取る」、「主導権を握る」なんてのは、「夢のまた夢」でしょう。しかし、お二人(橋本徹&渡辺喜美)とも、個性が強く、自己主張も強いので、それをどう克服するかが課題ですね。(注:まあ、これは、両者が、とくに「橋本代表がそれまで代表でいる」という前提の話ではあるが)
 
(注:文中、敬称略)
 
 

 今日は(参議院議員選挙の)投票日です。私・ドクター差別は、早朝、(港北)区役所に出向きました。ビルの入り口前に、柴犬を連れた(中年)女性と男性がおりました。柴犬が入り口近くにチョコンと座っているので、「どうかしたのかな?」と話し掛けると、「(そのワンちゃんは)選挙権がないので入れない」と(女性が)おっしゃいました。そう来たか! 私は、とっさに、「そうですね。未成年者は、選挙権がないですからね」と切り返しました。私は入り口のすぐ前にいたので、自動ドアは開いていて、なかの係りの人たちにも、私らのやり取りが聞こえたのでしょう、皆さん、笑っていました。
 
 さて、投票ですが、誰に入れようか、まだ迷っていました。公明党の女性候補は「かわいい弁護士さん」だし、故・春日一幸民社党(第3代)委員長の元秘書の議員さんはいるし、若い頃から知っている前・神奈川県知事さんもいるし、さて、どうしたものか? ちなみに、私は、これまで、社会党(=社民党)、共産党、公明党には一度も入れたことがなく、ほとんどは旧・民社党(注:まあ、本部職員だったのだから当たり前)か、(自分も候補者になったことがある)民主党、その他、新党に期待して入れたりしていました。
 
 そう言えば、自民党にも、ほとんど入れていません。まあ、思想的・政策的には近いものがあるんですが、「自民党に入れる」というと、どうも「現状維持」、「現状を(完全に)肯定してしまう」ようで、「愛国者」ではあるが「進歩的」な私としては、しっくりこないんですね。私のスタンスは、「現状(の完全)否定」、「現状破壊」ではないが、「現状をそっくりそのまま納得できないタイプ」、いわゆる「改革派」です。
 
 そうそう、昨夜(=深夜)、「Xファイル 真実を求めて」という映画をやっていました。最後の方をちょこっと見たのですが(注:以前、DVDを借りて見たことがある)、そのなかで、主人公が、「前向きな人に悪人はいない」と言っていました。「なるほど、そうかも知れないな」と思いました。(注:私も含め、「選ばれし者たち」は当然、「前向きな人」であり、「悪人ではない」となるだろう)
 
 と言っても、あるとしても、あくまで「傾向」であって、「前向きな人は皆、悪人ではない」あるいは「後ろ向きの人は皆、悪人である」というわけでは、もちろん、ありません。しかし、「前向きな人」は「後ろ向きな人」よりも、たぶん、「成功する確率は高い」でしょうし、「前向きな人」は、大抵、「性格も良い」のではないでしょうか?
 
 「前向きの人」は、失敗を恐れません。たとえ失敗しても、何度でもチャレンジします。であれば、成功するチャンスは(確実に)高くなります。であれば、「前向きの人には、成功者が多い」と言っても間違いではないでしょう。 
 
 また、「前向きな人」は、失敗を他人のせいにはしません。人を騙したりもしません。失敗しても、性格が捻じ曲がったりはしません。むしろ、失敗から(何かを)学ぶことができるタイプでしょう。であれば、「前向きの人には、性格の悪い人は(ほとんど)いない」と言ってもいいのではないでしょうか?
 
 たしかに、(私の)経験則からしても、「悪人」と言うか、「善人」とは言いがたい人で「前向きな発言」をしている人を見かけたことはありません。いつも発言が「後ろ向き」だから、「成功者」を妬み、自分の失敗を他人(や社会)のせいにします。であれば、性格が歪むのも当然でしょう。
 
 
 

私・ドクター差別とレノンさんは7月19日の早朝、(先週の金曜日に続いて)「神奈川版グランドサークル巡り」を敢行した。先週は、(田園都市線で)かなり揉めたが、その反動か、今回は取り立てて何もなかった。その後、大井町から芝公園まで「任意周知歩行」をした。
 
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3月18日以降、微妙に変わったステッカー
上は東横線の車両、下は副都心線の車両
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まず、「各駅」で菊名まで「任意確認乗車」。そこでレノンさんと合流し、「急行」で横浜へ。乗車早々、ガラガラにもかかわらず、中年女性から声かけされた。「男性も乗れますよ」と言うと、しきりに首を傾げる。「お疑いなら、車掌さんに聞いたらいかがですか?」と言っても、さらに首を傾げるだけ。この手の女性は、鉄道会社に「男性も乗れる」と確認したところで、まあ、納得はしない(タイプ)だろう(苦笑)
 
横浜で横浜市営地下鉄に乗り換え。駅員からも、女性乗客からも、声かけはないが、(途中から)隣の車両との混雑差が顕著になった。こちら(の車両)に来れば(男性でも)座れるのだが・・・
 
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男性の皆さん、なぜ、こちらの車両に乗らないの?
 
湘南台で小田急線に乗り換え。女性の車掌だったが、声かけなし。女性乗客もチラチラ私らを見ているが、声かけはなし。しかし、誰かが「言い出しっぺ」になると、たぶん、先週の田園都市線のような騒動になるに違いない。
 
中央林間で田園都市線に乗り換え。長津田で「準急」に乗り換えるも、渋谷まで車掌や駅員からの(しつこい)声かけはなし。よって、それに刺激されての女性乗客からの「言いがかり」もなかった。
 
結局、取り立てて報告すべきことはなかったわけだが、いつ何時「事件」が起こってもおかしくはない。今回も、小田急線で(女性乗客の)誰かがイチャモンをつけたら、「騒動」になっていたはずである。
 
と言うわけで、再び、東横線に乗って、自由が丘まで行き、そこで「任意確認乗車」は終了。大井町線で大井町まで行き、そこから、「任意周知歩行」をした。
 
まずは、品川に向けて出発。先週よりは「暑くない」とは言え、日が射すところは結構、暑い。反対の道路の方が「日陰」なので、そちらに移動した。途中、品川神社に立ち寄り、お参り、お御籤を引いたら「大吉」だった(笑)
 
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忽然と現れた「都会のオアシス」
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かわいい大黒さん
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キチンとお参りしました
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「東京十社」だそうです
 
 品川に到着、ホテルのビュッフェ(=バフェ)で、早めの昼食をとった。和食の食べ放題で「1200円」は、極めてリーズナブルである。たらふく食べたので、もう少し歩くことにした。
 
 国道沿いを歩いて20分~30分、先週の最終到達地の田町に着いた。そこで、都営三田線に乗ろうと思ったが、思い直して、日比谷方面へ。途中、日頃お世話になっているNEC(=BIGLOBE)の本社ビル前を通過し、かつて(民社党時代に)何度か行ったことがある「三田会館(=友愛会館)」に立ち寄った。そこからしばらく行ったところ(芝公園)でリタイア、都営三田線で帰った。レノンさんは、さらに、日比谷まで歩くとのこと。レノンさん、今日も、お疲れ様でした。
 
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巨大な本社ビルを見ると・・・新宿南口の某本社を思い出す
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(旧同盟系)民主的労働運動の「先駆者」たち
 
 
 

「週刊ポスト」(7月26日号)が、世の中の様々な「女性優遇」について、否定的な取り上げ方をしているそうです。「そうです」というのは、私・ドクター差別の同志の方からの情報で、私自身、その記事を目にしていないからです。しかし、ソースがハッキリしておりますので、ここで取り上げることにいたしました。
 
そのなかで、同志も私も(とくに)注目したのが、兵庫県が「女性起業家支援事業」と称して、「女性(起業家)にだけ(上限100万円の)補助金を出す」という話です。
 
「女性起業家支援事業(起業・第二創業を目指す女性起業家向け補助金)」
 
で、確認しましたが、「女性にだけ補助金を出す」という合理的理由は何なのでしょうか? 私には見当もつきません。「大金持ち」のお嬢さんが起業する際、「補助金」なんぞ必要でしょうか?
 
 女性は差別されているから? いいえ、現行憲法では「男女平等」が謳われておりますし、法律や社会常識として、現在、女性差別は否定されております。もし、女性差別があるとすれば、それ(=個々の差別案件)を解消すれば済む話で、「女性優遇」を正当化することはできません。
 
 女性は差別されてきたから? たとえ「かつて女性が差別されていた」としても、それは、「黒人差別」のように「受け継がれる差別」ではありません。「女性」は、「男性」と同様、貧しい家に生まれ育つ人もいれば、裕福な家に生まれ育つ人もいるのです。ですから、「女性だから」という理由で「優遇」する理由は見当たりません。
 
 しかも、「今の女性差別」だろうが、「過去の女性差別」だろうが、一般の男性には何の関係もない、何の責任もない話です。そんな理由で、「女性優遇」をされる、「男性差別」をされて納得できるわけがありません。「属性にかかわらず、公平かつ公正な機会が与えられる」、それが現行憲法下の「大原則」です。
 
女性の起業家(=経営者)が少ないから? 公務員採用試験もそうですが、それは「女性差別の結果」と言うよりは、単に「女性の(起業家の)志願者が少ない」からでしょう。(注:まあ、たとえ「女性差別」であっても、前述の通り、「女性優遇」=「男性差別」をしていいわけではない) 志願者が少なければ、起業家(=経営者)が少ないのは「当たり前」です。公務員採用試験もそうですが(「女性優遇策(=クオータ制)」を講じるのではなく)、まず、志願者を増やすことを考えるべきでしょう。
 
 おっと、その「志願者を増やす方策」が、「女性にだけ補助金を出す」ということなわけですかね? いえいえ、それは「クオータ制」と同様、「女性優遇」すなわち「男性差別」です。「志願者を増やす方策」は、差別によらない方法でしなければいけません。(注:公務員採用試験の場合は、女性の志願者を増やすことをせず、「クオータ制」によって、客観的テスト以外の小論文審査や面接で女性にゲタを履かせて、意図的に、女性の合格率をアップさせている)
 
なお、「岩城弁護士のはばかり日記」というブログでも、「週刊ポスト」の記事が紹介されています。
 
「女尊男卑」社会は行き過ぎ?──「週刊ポスト」に私のコメントが載りました(2013年7月11日)
 
と言うか、「表題」を見ればわかりますが、この「岩城弁護士」という方が、その記事にコメントを寄せています。そのコメント(の一部)は、「男性限定のスペースもつくるのなら平等といえますが、女性限定で利用できる部分だけをつくるのは必要性が高くない限り平等原則に反する恐れがあります。とくに公共団体では、より厳しく適用されるべきです。」ですが、全く、おっしゃる通りです。兵庫県の(補助金の)話も、自治体が「(性別によって)差別的な取り扱いを行う」ということが「公共性」からして(さらに)問題なわけです。
 
ところで、「岩城弁護士」が「週刊ポスト」にコメントを依頼されたのは、「弁護士」という肩書きもあるでしょうが、
 
「女性専用車両」拡大への異論(2011年4月24日)
 
という(ブログの)記事のアクセスが大変多く、それが(「週刊ポスト」の)記者さんの目にとまった(らしい)とのことです。(注:この記事に、「東大平行線」が投稿していて、例の「おまけ契約」など突飛なことを言って(ことごとく否定され)、最後は、「お引取り」のお願いをされている) こういう「肩書き」のしっかり人が、「女性専用車両」について(否定的な)コメントをする、私ら「選ばれし者たち」にとって、「(男性)差別に反対する者たち」にとっては、大変ありがたいことです。何しろ、「正義」はこちらにあるわけですから、(マスコミに)取り上げられれば取り上げられるほど、「差別主義者」にとっては不都合なはずですから。
 
 ただし、私ら「選ばれし者たち」は、過度に「マスコミ」に頼ってはいけません。「(マスコミに)取り上げられれば、それに越したことはない」というスタンスで、地に足をつけて活動する必要があります。幸い、近年はインターネットの普及により、誰でも(世界中に向けて)情報を発信できる時代です。しっかり活動し、それをネットで拡散する、それが「現代の社会活動」の基本と言っても過言ではないでしょう。
 
 

 「女性専用車両」に反対する人のなかには、「何年も女性専用車両に反対しているが(ほとんど)何も変わっていない。(団体の)会員も増えない。(活動を)やる意味があるのか?」などと(自嘲気味に)言う人がいます。まあ、この活動に限らず、何年も(同じ)活動をしていると、その活動(の意義)に疑問を抱く人も出てきます。それは、大抵、「マンネリ」が原因で、本人の意欲が薄れてしまうからでしょう。
 
 同じ活動を長く続けるには、「マンネリ」を打破するには、それなりの「工夫」が必要です。「工夫」しないと、「マンネリ」に陥り、以前と同じ「意欲」を維持できなくなり、段々、活動をしなくなります。そうなると、さらに「意欲」が薄れ、活動らしい活動を(ほとんど)しなくなります。出てくるのは「愚痴」ばかりで、最後は、「愚痴」も出なくなる。活動の「終焉」です。
 
 私・ドクター差別は違います。「工夫」を怠りません。だから、活動がいつでも「新鮮」です。
 
①街宣カート
 
 たとえば、街頭演説をするため、「街宣カート」をつくりましたが、こういう代物を使って街頭演説をしているのは、「日本広し」と言えども、「ドクター差別だけ」でしょう。「女性専用車のウソ」というノボリも特注しましたし、「女性専用車両」に関する街宣ボードも自分でつくって、アピールしております。街宣ボードの文言は、どんどんリニューアルしています。
 
②任意確認乗車
 
「わざわざ女性専用車両へ乗車する」という活動も、私らが始めました。より「合法的な活動」であることをアピールするために、「女性専用車両に反対する会」が使っていた「抗議乗車」という名称を「差別ネットワーク」の場合は「任意確認乗車」に改めました。(注:「女性専用車両に反対する会」は、関西では「非協力乗車」と言っている) 私らは、「抗議のために乗車」するのではなく、あくまで、「任意性が担保されているかどうかを確認するために乗車」するわけです。
 
③任意周知ポロシャツ
 
「任意周知Tシャツ」をつくり、翌年、それを改良し、「任意周知ポロシャツ」にしました。これは、いつでも、どこで、「任意周知」ができるスグレモノです。寒い時期は、「任意周知ジャンパー」に取って代わられます。街中で見かけた人が、ツィッターで「宣伝」してくれています。
 
④アンケート調査
 
 昨年は、「女性専用車両」に関するアンケート調査も実施しました。これは、一般の人たちが「女性専用車両」をどう捉えているか、を知る上で、貴重な資料になりました。とくに、鉄道会社から「任意であること」を知らされた人がほとんどいなかった男女とも80%程度の人が「(男性が乗れるなら)女性専用車という名称・表示はおかしい」に「イエス」と答えた、というのは、(予想はしていたものの)興味深い結果です。
 
⑤動画
 
 「任意確認乗車」の際、駅員や女性乗客に不適切な言動があった場合、録音・録画し、それを「動画」でアップする、ということも始めました。プライバシーに配慮しつつ、社会正義の名の下に不正や矛盾を正す行為であり、法律的にも道義的にも問題はありません。「撮影」をアレコレ言う人がいますが、これまた、何の問題もありません。
 
⑥目立つコスチューム
 
 そうそう、「賛成派」だけでなく、「反対派」からも批判のある「奇抜なコスチューム」も、そう(=私の発案)です。と言うか、「奇抜なコスチューム」と言うから結構異論が出るのであって、「目立つコスチューム」と言ってもなお異論があるようであれば、それは「的外れ」と言わざるを得ません。なぜなら、この種の活動は「目立ってナンボ(の世界)」なのです。にもかかわらず、「目立つコスチューム」を批判するのであれば、それは「目立つ活動」を否定することになり、活動する意味がなくなってしまいます。
 
 (最初に戻りますが)何も変わっていない? いいえ、「任意である」、「男性も乗れる」と知る人は、確実に、増えています。これは、街頭演説や乗車の際の「任意周知」もそうですが、ツィッターや「2ちゃんねる」、その他のネットの影響は大きいでしょう。おもしろいのは、意図は違うのですが、「賛成派」や「アンチ・ドクター差別派」が、私らの活動を「宣伝」し、「任意周知」を手伝ってくれていることです。彼らにしてみれば、「誹謗・中傷」、「揶揄・皮肉」を言っているつもりなのでしょうが、結局、私ら(の活動)を宣伝してくれているのです。
 
 (団体の)会員が増えない? 逆に、減っている? それは、活動の「意義」の問題ではなく、団体の運営上の問題です。「工夫」をせず、「愚痴」を言い合うだけでは、会員が増えない、減ってしまうのは当然です。「女性専用車両」を廃止(又は、大幅に改善)する活動の意義が薄れたわけでは決してありません。
 
 (活動を)やる意味がない? いいえ、賛同者は、確実に、増えています。それは、このブログや動画のコメントを見れば明らかです。なお、私らを誹謗・中傷する連中は、増えようが減ろうが、私らにとっては、何の影響力もない、何の意味もない、何の価値もないのです。この種の活動は、選挙と同じで、自分に投票(=賛同)してくれる人が増えれば、自分に投票(=賛同)しない人が増えようが減ろうが、何の関係もないのです。
 
 

私・ドクター差別とレノンさんは7月12日早朝、「神奈川版グランド・サークル(東横線→横浜市営地下鉄→小田急線→田園都市線→東横線)巡り」を敢行した。その後、目黒から田町まで「任意周知歩行」も行った。田園都市線では、これまで大した「事件」はなかったが、「いやいや、『たまたまない』だけで、女性乗客の(陰険そうな)態度からすれば、いずれ何かが起こるだろう」と思っていたが、その「予感」は的中した。
 
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(3月18日)以前はなかった「虚偽ステッカー」
 
レノンさんとは前日、(大倉山で)打ち合わせしたので、(新横浜に泊まった)レノンさんと菊名駅(のホーム)で待ち合わせした。車掌の声かけはあったが、「(女性専用車だと)知ってますよ」と言うと、早々に退散した。横浜で横浜市営地下鉄に乗り換え。
 
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横浜駅の「虚偽ステッカー」
 
横浜市営地下鉄では、女子小学生が10人以上乗っていて、何となく、私らを意識しているようだった。「男性は痴漢かも知れない」、「男性の乗れない車両がある」などと思わせる「女性専用車両」は、教育上、大変よろしくない。なお、湘南台まではそこそこ(距離が)あるので、座って、「自由」の意味などについて雑談した。世間には「自分の権利ばかり主張し、他人の権利を蔑ろにする」という連中が結構多いのだが、これは「自由」の意味がわかっていないからである。
 
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女性は皆、「女性専用車両」へ。それならわかる
 
小田急線でも、車掌の声かけがあった。しかし、「任意でしょ?」などと言うと、アッサリ引き下がった。中央林間で田園都市線に乗り換え。
 
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公共交通で「男性は乗れない」と思う神経が信じられない
 
田園都市線では、私らが乗っているからだろう、車内(生)アナウンスがあった。長津田で「準急」に乗り換え。そこから「雲行き」が(段々)怪しくなった。停車駅毎に、車掌や駅員が声かけに来るのだが、アッサリ退散。しかし、私らが降りないことにイラついた女性Aが、とうとう、私らに(直接)降りるように言ってきた。いよいよ、「事件」の始まりである。
 
それでも、私らが降りないと、ついに「(次の駅で)駅員を呼ぶ」と言い出した。(注:後になると、「警察を呼んで」などと言っていた) それに同調した女性Bや女性Cが、車掌室の扉をドンドン叩き、車掌を呼び出した。女性Dや女性Eも、何やら文句を言っている。次の駅で、駅員が2名、車内に乗り込んできた。
 
駅員は、「トラブルにならないように」と、(理不尽な)言いがかりをつけられている私らに「大声を出さないで」などと言った。一方的に「トラブル(=事件)」を起こしているのは「女性乗客」であり、「男性も乗れる」と言うから乗っている私らのせいではない。しかも、私らは大声なんぞ出していない。「言いがかり」をつけられたから、それに(それなりに)対応しただけである。(注:必要もないのに「大声を出す」のは「迷惑防止条例」に違反する行為だが、必要性から「大声を出す」のは容認される行為である。たとえば、痴漢に遭ったら大声を出してもいいだろうし、(チンピラに)言いがかりをつけられたら大声を出してもいいだろう)
 
私らが駅員と話をしていると、女性Aは、「わかったから、もう黙って」などと言った。まあ、「わかった」と言っても、「男性も乗れる」とは理解したが、「納得はしていない」ということだろう。しかし、他人の会話に口を挟む「権利」は誰にもない。
 
●YouTube
 
予感的中! 出た、出た、出た
 
ところが、女性Aがおとなしくなったと思ったら、さっきから、チャチャを入れていた女性Dが本格的にイチャモンをつけ始めた。「暇人。毎日、こんなことをしているんだろう?」などと「賛成派」にありがちな発言をしていたが、どんどんエスカレートして、「卑怯者、卑怯者、卑怯者、卑怯者、卑怯者」、「最低、最低、最低、最低」などと連呼、ついには、「死んじまえ、ボケ」などと言う始末。
 
●YouTube
 
女性Dの暴言
 
 しかし、駅員は、その「暴言」については、やんわり「注意」しただけ。おいおい、「注意」だけで済む話か? いいや、これって「立派な犯罪」、刑法231条「侮辱罪」にあたる「大暴言」である。
 
 ところで、車掌や駅員は、「女性専用車ですが?」などと声かけしてくるが、私らが、
 
①私らが乗ったら、何が問題なのか?
 
②私ら痴漢でないけど、痴漢でない男性が乗って、何か問題なのか?
 
③「任意」とも言っているが、「女性専用」なのか、「男性も乗れる」のか、どっち?
 
などと言うと、まともな答えが返ってきたためしがない。今回の駅員もそうだったが、「ご協力をいただいている」などと返答になっていない返答をするか、ダンマリを決め込むか、のどちらかである。
 
長い時間が経過し、やっと渋谷に着いた。すると、その駅員が、言いがかり(=降車の強要)や侮辱発言をした女性乗客に頭を下げているので「唖然」とした。「一体、どういうつもりか?」、「女性は『犯罪者』でも、お客様扱いなのか?」と呆れていたら、私らに向かっても、深々と礼をし、「朝から、不快な気分にさせて申し訳ございません」などと謝罪した。女性乗客に向かってのお辞儀には驚かされたが、私らにもお辞儀&謝罪をしたので、それ以上、抗議はしなかった。
 
 その後、ファーストフード店で一休み。私・ドクター差別の「録画」は途中でやめたので、レノンさんの「録音」を聞いて、女性Dの侮辱発言を確認した。そしたら、前述の通り、ひどい代物だった。これは、警察に突き出してもいいレベルの侮辱発言である。まさに、こういう時のために、「言った」、「言わない」という水掛け論を回避するために、証拠保全のための「録音」、「録画」は必須である。
 
 「一休み」して鋭気を養い、「任意周知歩行」をすることにした。まずは、目黒から五反田に向けて出発。日差しが強く、とにかく暑い。五反田から、高輪台方面に向かった。体調に気をつけながら、途中、2度ほど、コンビニに立ち寄り、水分補給をしながら、白金高輪を通過、三田(=田町)まで歩いた。慶応大学正門前の木陰で「一休み」、学生さんが、私らの(ポロシャツの)背中を見ながら通る。「任意周知完了」である。田町駅の近くで、昼食をとり、目黒まで戻って解散した。
 
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暑い中、緑があると「ホッ」とする
 
 レノンさん、暑い中、お疲れ様でした。さて、次回はどこを歩きましょうかね?(笑)
 
 

 「権力者」は一体、誰か? 近年、この「定義」が変わりつつある。まあ、「古典的な権力者」も健在だが、新たに、「新しい権力者」が出現している。
 
政府や自治体は、言わずもがなの「権力者」である。これは、今も昔も変わりはない。だから、(現行)憲法は、政府をはじめ、「公権力」を有する組織(の必要以上の権力)を制限しているわけである。
 
 ところが、近年、この「権力者」である政府や自治体が、こともあろうに、率先して「差別」をしているのだから恐ろしい話である。公務員採用試験の年齢制限もそうだが、「クオータ制」などというとんでもない(男性)差別を堂々と推進しているのだから、開いた口が塞がらない。しかも、それを民間企業にまで(圧力をかけて)拡大しようとしているのだから、何をかいわんや、である。
 
企業も「権力者」の1つである。これも「古典的な権力者」と言えるが、だからこそ、「差別」は厳しく糾弾されなければならない。雇用関係でも、雇用者と被用者、雇用者と求職者では力関係に大きな差があるがゆえに、「差別」は厳しく制限されなければならない。同様に、企業と顧客の間においても、「差別的扱い」は厳しく制限されなければならない。たとえば、鉄道事業者と旅客の関係では、「男性だから」という理由で「乗れない車両」、「(非常に)乗りにくい車両」があっていいはずがない。
 
これらの「古典的な権力者」以外に、近年、「新参者の権力者」が現れた。1つは「女性」であり、もう1つは「障害者」である。
 
 「女性は差別されてきた、あるいは、差別されている」、「女性は弱者」などと言われるが、現実は相当、様変わりしている。「女性は差別されてきた、あるいは、差別されている」などと称して、「クオータ制」や「女性割引」などの「女性優遇策」がまかり通っているが、これは「男性差別」以外の何物でもない。「女性専用車両」にしろ、「痴漢対策」というのは真っ赤なウソで、痴漢でない男性を(痴漢と見なして)排除しようとしている、あるいは、「男性だから」という理由で排除しようとしているわけで、まさに、「男性蔑視」、「男性差別」である。
 
 女性は弱者? いいえ、女性は今や、「やりたい放題」である。何の落ち度もない男性に「迷惑」を掛けても何とも思わない。なぜ、痴漢でない男性を「女性専用車両」という名の一般車両から、無理矢理降ろそうとするのか? 痴漢対策? なら、痴漢だけを降ろしなさい。それは無理? 誰が痴漢かわからない? それが無理なら、誰も無理矢理降ろしてはいけない、と言うか、「犯罪が起こる前に、なんびとも差別的扱いを受けたり、逮捕されたりしない」というのが、法治国家の「ルール」である。
 
障害者も、「権力者」になりつつある。いや、正確には、「障害者団体」と言うべきだろう。政府や自治体も、企業も、「障害者団体」には「及び腰」である。「女性団体」と同様、「障害者団体」が何か文句を言うと、無視できないのか、それが「改善」されることが多い(ようである)。
 
 たとえば、鉄道会社は、原則、「女性専用車両には男性は乗れない」かのように装っているが、「障害者団体」からクレームがあり、あの「例外」、「小学生以下と障害者とその介助者の男性は乗れる」という「例外」を掲示するようになった。これは「障害者団体」からのクレームだったからで、もし「高齢者団体」からのクレームだったら、「改善」されたかどうか? と言うか、実際、高齢者の差別も問題視している「差別ネットワーク」の代表である私・ドクター差別が、「なぜ、高齢の男性が乗れない(かのような表示になっている)のか?」などとクレームを入れても、鉄道会社は「梨の礫」である。
 
 まあ、「女性」や「障害者」が、政府や自治体、企業にクレームを入れるのは、悪いことではない。ただし、それによって、「男性」や「一般人」に「迷惑」が及ぶ場合は、いただけない。それも「限度内」なら許容されるわけだが、最近は、「限度を超えていることがある」から問題なのである。
 
 新たに「女性専用スペース」を設けた? すなわち、「女性専用スペース」があって、他は「男女共用スペース」というわけである。なぜ、「男性専用スペース」はないのか? 
 
 また、「女性専用トイレ+男女兼用トイレ」のレストラン、喫茶店なども増えている。なぜ、「すべて男女兼用トイレ」あるいは「女性専用トイレ+男性専用トイレ」ではいけないのか?
 
 女性割引のお店? これには「女性客が少ないから(女性を誘引する)」という言い訳と、「女性客が中心だから(女性にサービスする)」という言い訳、両方聞くが一体、どっちなのか? 宴会の料金で「男性3980円、女性2980円」というのを見かけたが、なぜ、女性の方が安いのか? 男性は女性よりも飲む、食べる? いいえ、昨今は、飲まない男性も結構多いし、飲む女性も多い。食べるのだって、「大食い選手権」に出るような女性だっている。個人差を無視して、属性(=性別)で差別するのは問題である。
 
そうそう、「駐車場」と言えば、「障害者用のスペース」も、やり過ぎの感がある(場合がある)。アメリカでの経験だが、ショッピングモールの「障害者用のスペース」はガラガラなのだが、「一般人用のスペース」はド混みで、モールの入り口から数百メートル離れたところに駐車しないといけない、なんてことがある。ついでに言うと、劇場などでの「特等席」が「障害者用」になっていて、私ら「健常者」は(座席指定でない場合)数十分前から立って並んで待っているのに、障害者を連れた「家族」はと言えば、開演ギリギリに来て「特等席」に座るのを見ると、(ちょっと)イラッとする。
 
 とは言え、「優遇策がいけない」と言っているわけではない。ホントに痴漢被害に困っている女性だけを(優先的に)乗せるのであれば、たとえ「任意の協力」であっても、「協力」はやぶさかではない。これだと、確実に痴漢被害は減るだろうから「協力」のし甲斐があるし、「(臭い)オヤジがいなくていい」などと言われるよりは「百倍マシ」である。
 
 あるいは、「障害者」はもちろん、「弱者」のための「優先席」を認めないわけではない。と言うか、「優先席」なんぞなくても、どの座席でも「弱者」に席を譲る、ということであるべきだろう。これこそが、本当の「任意の協力」であり、「善意」なのだから。
 
 

NHKの「クローズアップ現代」に、あの「フェィスブック」のCOOであるシェリル・サンドバーグ女史が登場し、(得意げに)アレコレおっしゃったようである。私・ドクター差別は(残念ながら)見逃してしまったのだが、「全国男性復権を目指す会」のブログや「名無しさん」というHNの方からの情報(=投稿)によれば、かなりいい加減なことを言ったらしい。「有名人」が言うと鵜呑みにする人が結構いるが、「誰が言った」かに関係なく、トンチンカンな主張は、所詮、トンチンカンなのである。
 
たしかに、あの「フェィスブック」は飛ぶ鳥を落とす勢いのようだが(注:それとて、中共の経済成長と同じで、所詮、限界がある)、会社の急成長と「役員が有能かどうか」とは直接関係ない。会社の急成長は、「時流に乗っている」というのが大きな要素で、これは「実力」もさることながら、たぶんに「運」もある。そもそも、COO(=Chief Operating Officer最高執行責任者)なんてのは、極端な話、CEO(=Chief Executive Officer 最高経営責任者)が決めたことを(キチンと)やるだけの仕事で、例の「渋谷で爆発事故を起こした女性専用スパの女社長」も似たようなものである。
 
 ところで、番組では、女史は、かなりいい加減なことを言ったらしい。
 
①管理職に於ける女性の比率を30%にすれば日本は良くなる?
 
 どういう根拠で、「女性の比率を30%にすれば日本は良くなる」と言うのだろうか? この理屈が成り立つための「大前提」は、「そういう女性が皆、(相当する男性よりも)有能でなければならない」わけだが、実力よりも性別を重視し、「女性だから」という理由で管理職に登用して、どうして、その「大前提」が担保されるのか?
 
「女性だから」という理由で管理職に登用する、ということは、裏を返せば、その(優先)対象である女性よりも有能な男性が「男性だから」という理由で管理職になれない、ということである。つまり、これは、「能力主義の否定」に他ならない。さて、「能力主義」を否定して、なぜ、「日本が良くなる」のか、全く理解不能である。
 
②男性は社会で出世すると祝福されるけど女性は嫌われる?

これも、どういう科学的根拠があっておっしゃっているのか、甚だ疑問である。と言うか、「例外なくそうだ」ということなのか、「そういう傾向が(多少)ある」ということなのか、によって話は違う。「前者」なら妄想に近い話だし、「後者」なら「そういうこともあるかも知れない」というだけの話(注:「差別主義者」はどこにでもいる、男性にも、女性にもいる)で、あえて言うべき話でもない。
 
 そもそも、男性であれ、女性であれ、本当に実力があれば、誰も文句は言わない、陰口を叩かない(はずである)。「COO」と言っても、所詮、マスコミ担当、「お飾り」であれば、陰口も叩かれるだろう。まして、「クオータ制」を口にするような女性なら、その「実力」を疑われても当然である。
 
③女史のゴールは「本物の平等」?
 
これ(=本物の平等)って、「似非フェミニスト」が言っている「実質的平等」という話ではないのか? 「機会の均等」は「形式的平等」で、女性が差別される社会では、「結果の平等」こそが「実質的平等」という「アレ」である。もしそうなら、これって、男女の性差、すなわち、「男女の差による(仕事上の)向き不向き」を無視する暴論である。
 
 しかし、この理屈がまかり通るなら、すべての職業に当てはめていただきたい。「議員」だとか、「公務員」だとか、「弁護士」だとか、「管理職」だとか、「役員」だとか、「おいしい職業・ポジション」だけでなく、いわゆる「3K職業」にも、「本物の平等(=実質的平等?)」を導入していただきたい。警察官や、消防士、自衛隊員などの女性の割合が「30%」、いや、「結果の平等」を言うのなら「50%」にすべきだろうが、もしそうになったら、女史の言うように「日本は良くなる」のか?
 
とどのつまり、「女性」、「女性」と言う人にろくな人はいない、ということである。「属性にかかわらず、ヤル気と能力のある人を公平かつ公正に扱う」ということでなければ、「一流(のCOO)」、いや、「一流(の人間)」とは言えない。まあ、これって「当たり前」のことなのだが、「当たり前のことを当たり前にやる」というのが、意外に難しい。しかも、権力があればあるほど、「他の思惑(=世間の風潮を気にする、マスコミ受けを優先するなど)」に左右されてしまいがちである。
 
 

日本人で、「自由」の意味を(本当に)理解している人、「自由」の大切さを(十分)承知している人は、意外と少ないのではなかろうか? 私・ドクター差別としては、大体、「半分くらいではないか」と感じている。と言うのも、「自分の権利(=自由)は主張しながら、他人の権利(=自由)を侵害して平気な連中、いわゆる『差別主義者』が結構いる」からである。そんな都合の良い「自由」なんて、あるはずがない。
 
「女性専用車両」の問題は、実は、「自由」の問題である。痴漢対策? いいえ、「痴漢対策」なら、痴漢被害の減らない「女性専用車両」なんかよりも、もっともっと、まともな(痴漢被害の減る)痴漢対策は幾らでもある。
 
鉄道会社は、「女性専用車両に乗るかどうかは、(男女とも)あくまで任意である」と認めているにもかかわらず、平然と「女性専用車」などと命名・表記している。「任意」とは、「本人の自由意思に任せること」という意味であり、「専用」とは相容れない概念である。鉄道会社は「任意の意味、自由の意味が全然わかっていない」と言わざるを得ない。
 
もちろん、「女性専用」は明らかにウソなのだが、もしかしたら、鉄道会社は「ウソをついている」という自覚がないのかも知れない。でなければ、「大企業」ともあろうものが、こうも平然とウソをつかないだろう。たぶん、「任意」が何たるか、「自由」が何たるかをわかっていないゆえの勘違いではないのか?
 
あるいは、鉄道会社は、「ウソをついている」という自覚はあるものの、「ウソも方便」と考えているのかも知れない。つまり、「痴漢対策であれば、(ウソをついて)男性の自由を制限してもいい」と勘違いしているのではなかろうか?
 
たしかに、痴漢犯罪は卑劣な犯罪である。しかし、痴漢でない男性には何の関係もない。痴漢でない男性の自由を制限していいわけがない。痴漢でない男性に「降車(=隣の車両への移動)」を強要していいわけがない。
 
そもそも、「女性専用車両」は「痴漢対策」ではなく、「男性対策」である。しかし、仮に「痴漢対策」だとしても、痴漢でない男性を排除するのは、「自由の侵害」、「人権侵害」に他ならない。他者の人権(=自由)を侵害する「自由」は、誰にもない。
 
 

 男性と女性では、基本的(=生物学的)に「役割」が違う、「向き不向き」が違う。だから、男女で、その「向き不向き」に応じて、「役割分担」をするのは当然である。大雑把に言えば、男性は「命がけの仕事」に向いている(注:まあ、外で働けば、程度の差こそあれ、何かしらの「身の危険」はある)、一方、女性は「子供を外敵から守り、育てる仕事」に向いている。
 
 男性は、大抵、命がけで仕事をする、と言うか、しなければならない。それは同時に、他人の命を預かることでもある。お互いの信頼関係がなければ、仕事は成り立たない。たとえば、建設現場で、同僚にいい加減な仕事をされたら、相棒はたまったものではない。警察(の現場)だってそうだろうし、消防(の現場)だってそうだろう。あるいは、鉄道(の現場)だってそうだろう。
 
 ところが、そこに、「子供を外敵から守り、育てる仕事」に向いている女性が入ったらどうなるのか? もちろん、例外もある。「女性だから皆、命がけの仕事に向いていない」などとは言わないが、「男女半々にしましょう」なんて、甘っちょろい考え方(=クオータ制)で「子供を外敵から守り、育てる仕事」に向いている女性を採用し、そういう女性に「命がけの仕事」をやらせたら、本人にも「気の毒」だが、(同僚は)たまったものではない。結局、男性が女性に対して、「余計な世話」、「余計な配慮」をしなければならなくなるのがオチである。
 
 「だから」と言うか、「やはり」と言うか、「クオータ制」は、「命がけの仕事」ではなく、「甘っちょろい仕事」、「おいしい仕事」にだけ採用されている。「指導的地位の女性を30%以上にする」と言ったところで、所詮、それは「命がけの仕事」ではない。いわゆる「権限はあるが、責任のない仕事」である。と言うか、本来、「指導的地位」なのだから、それに応じた「責任」もあるはずだが、「女性だから」という理由で大目に見られる、責任を取らなくていい、というのが「ありがちなこと」である。
 
 実際、数年前に起こった渋谷の「女性専用スパ」の爆発事故で、責任を問われたのは誰か? 男性である。当時、マスコミの話題にもなった女性の責任者が責任を取らされた、とは聞いていない。まあ、「実質的な責任者」ではなかったのかも知れないが、なら、「カッコつけて(マスコミの前に)出てくるな」という話である。
 
 誤解にないように申し上げるが、これは、決して、女性を卑下しているのではない。「子供を外敵から守り、育てる仕事」は、立派な仕事である。それを(女性に)していただかないと、男性は外でおちおち仕事をしていられない。そうでないと、男性は、家族のために、命がけで仕事をすることができない。
 
 要するに、例外はあるものの、原則としては、「男女は、それぞれの特性にあった仕事をするのがベスト」ということである。無理に、向いてないことを(わざわざ)する必要は全くない。お互いの違いから「いがみ合う」のではなく、お互いの違いを認めて「共生」する(注)、これがあるべき社会の姿である。
 
ところが、現状は、これとは全く逆方向に進んでいる。男女の違いをことさら強調し、いや、それどころか、「男性を卑下し、女性を優遇する」ことで、男女間の軋轢を生じさせようとする「勢力」が存在する。それに、政府や自治体が、まんまと乗せられて、「クオータ制」という「愚策」、「男性差別」を引き起こし、「能力主義」を否定する「亡国政策」を推進しているのだから、開いた口が塞がらない。
 
 今こそ、私ら「選ばれし者たち」の手によって、この「流れ」をストップさせなければならない。「クオータ制」が最悪なのは、それが「一過性」のものではないことである。「能力」そっちのけで「女性だから」という理由で採用された女性、登用された女性は、その後、数十年間、その職に居座るのだから、その(悪)影響は計り知れない。そんな上司、そんな同僚と一緒に仕事をしなければならない男性も気の毒だが、それ(=能力主義の否定)が日本に及ぼす(悪)影響を考えると、空恐ろしくなってくる。
 
 
(注)もちろん、「違いを認め合う」というのは、性別はもちろん、人種・民族、国籍、思想・信条、年齢、障害の有無、出身地・居住地、職業、容姿、疾病、前科の有無など、ありとあらゆる「違い」についても言えることである。
 
 

「差別ネットワーク」の幹事のHさんからは、1ヵ月に1回くらいのペースで「情報(=新聞の切り抜き)」が送られてきます。「差別ネットワーク」の集会(=ミーティング)では、いつも、この情報を使わせていただいております。今回、いただいた情報でとくに目を引いたのは、「障害者差別」についての情報です。
 
ご存知の方もおられると思いますが、この6月、「障害者差別解消法」が成立しました。(注1)
 
この法律では、
 
(1)障害を理由とした差別的取り扱いの禁止
(2)障害者が壁を感じずに生活できるように合理的な配慮をすること
 
が柱になっています。なお、「(1)を法的義務とし、(2)努力義務にとどめる。合理的配慮の義務が生じるのは、障害者らから求めがあり、負担が重すぎない場合に限る。対象は教育、公共交通、医療など幅広い分野にわたる。」としています。
 
もちろん、法律ができるに越したことはありませんが、やはり、欧米と比べると、「罰則」が弱いのが気になります。と言っても、「年齢差別」の場合よりも罰則は厳しく、(1)の違反の場合、「20万円以下の科料」になるようです。しかし、それでも、「年齢差別」の違反で、「数億円」の懲罰的制裁金の支払いを命じられることがあるアメリカ(注2)などに比べれば、決して「厳しい罰則」とは言えないでしょう。
 
ところで、「年齢差別」の場合もそうでしたが、「障害者差別」にだけ厳しい罰則を設けることは無理(な相談)です。もし「厳しい罰則」を設けるのであれば、他の差別を含めた「罰則強化」を求めていくしかありません。すなわち、「差別ネットワーク」が提唱しているように、「他の差別反対の団体と連携し、差別全般の罰則を強化する」、「総合的な差別禁止法をつくる」という方向でいくしかないでしょう。
 
ただし、これは「差別問題」全般について言えることですが、ここ(=優遇策を設ける場合)で注意しなければならないのは、「差別を被ってきた」という理由で、「優遇を受けるのが当たり前」だとか、「何の関係もない人たちに不利益を被らせて平然としている」などということは(決して)あってはならない、ということです。その典型(=間違った方策)が、「クオータ制」であり、「女性専用車両」であり、いわゆる「差別利権」と言われるものです。上記の法律でも、あくまで「合理的な配慮をする」となっており、「何でもかんでも優遇すればいい」ということではありません。
 
(注1)ただし、施行は、2016年4月からである。
(注2)「差別大国」であり、また、「差別先進国」でもあるアメリカでは、1964年に「公民権法 タイトルⅦ」によって「人種差別」と「性差別」が禁止、1967年には「雇用における年齢差別禁止法(=ADEA)」によって「年齢差別」が禁止、1990年には「障害を持つアメリカ人法(=ADA)」によって「障害者差別」が禁止された。
 
 

 「児童ポルノの規制」が問題になっているようです。ネット上、ツィッターでも、よく(否定的な)意見を目にします。私・ドクター差別は、この件は「専門」ではありませんが、仲間の「maple5」さんから、幾つか情報をいただきましたので、それらを参考にしながら考えてみたいと思います。
 
 もちろん、「児童ポルノの規制」自体については、まず、誰もが「賛成」のはず、「反対しない」でしょう。「児童を性の対象とするのはいけない」というのは、(先進諸国では)社会的コンセンサスになっています。
 
 しかし、この問題は「痴漢対策」と似ていて、総論ではもちろん「反対」なわけですが、各論では「それは違うでしょ!」となる恐れがあるようです。たとえば、「痴漢対策」と称して、「女性専用車両を導入します」となると、「それは違うでしょ!」となります。同様に、「児童ポルノの規制」にも、「そういう側面がありはしないか?」というわけです。
 
 たとえば、今、ネット上、ツィッターで問題になっているのは、「児童ポルノ法」(注) の改正(改悪?)です。これについては、「maple5」さんから、幾つかのサイトを紹介されました。
 
●「ガジェット通信」
 
 京都大学(大学院)の法学研究科の教授が「3つの問題点」を指摘しています。
 
●HPの名称は不明
 
「児童ポルノ禁止法」(=サイト主の命名)について、「実写以外も規制する事の問題点」、「単純所持処罰の問題点」などが指摘されています。
 
●「マスコミが隠してきた日本の真実を暴露するまとめサイト」
 
 憲法の「表現の自由」という観点からの指摘です。
 
●「ヤフー知恵袋」
 
 家族の子供の裸の写真、若いタレントの写真、「迷惑メール」で送りつけられた児童ポルノの写真、子供に見える18歳以上の人の写真などを所持していると規制対象になる、と(やや)誇張が見られます。と言うか、これがもし本当だったら、「大問題」です。
 
 よく言われることですが、と言うか、私・ドクター差別がよく言っていることですが、「目的が正当でも、手段が正当でなければ、その行為は正当とはならない」のです。「痴漢対策」という(正当な)目的だから、その手段として「女性専用にしていい」すなわち「(善良な)男性を排除していい」とはなりません。同様に、「児童ポルノ規制」という(正当な)目的だから、その手段として「善良な人の自由(=権利)を奪ってもいい」とはなりません。
 
 また、官憲に「裁量権」を与えすぎるのも考え物です。横浜駅での街宣の際、遭遇した警察官もそうでしたが、
 
①「法の番人」なのに法律を知らない
 
「うるさい!」との通報だったはずなのに、駆けつけた警察官は、騒音を問題にするではなく、なぜか、「道路使用許可」の有無を問うたわけですが、これはおかしな話です。「暴走音を規制する条例」と「道交法及び道路使用に関する条例」とは、全くの別物です。「うるさい!」とのクレームなら、当然、騒音を問題にすべきです。
 
②「道交法及び道路使用に関する条例」の趣旨を理解していない
 
「道交法及び道路使用に関する条例」が設けられたのは、「(道路を使用するにあたって)一般交通の著しい妨げをしてはならない」という趣旨からです。ですから、たとえ道路使用許可を取っていても、「だから、一般交通の(著しい)妨げをしていい」とは決してなりません。一般交通の(著しい)妨げになる可能性がある場合、道路使用許可を申請する、そして、その際、「一般交通の(著しい)妨げにならないように(努力)します」ということを約束し、(警察署長に)許可を得るわけです。
 
 一方、「(路肩の近くで)一般交通の妨げに全くならない形で演説をする」という場合は、そもそも、「道路使用許可」はいらないのです。ただし、演説をする際、ビラを配布する、寄付を募る、署名を集めるなどの行為をする場合は、私らも「道路使用許可」を取ります。要は、道路使用許可を取っていようがいまいが、「一般交通の(著しい)妨げになっているかどうか」、そこがポイントなのです。「道路使用許可」を取っていないからと言って、実際、一般交通の妨げに全くなっていないのに、それを取り締まる、なんてことができるわけがないのです。
 
 ところが、駆けつけた警察官は、「道路使用許可を取らず、氏名と住所を明かさないと、現行犯逮捕できる」などと、とんでもないことを言ったわけです。間違った法解釈から、「恫喝まがい」の発言をするのは、刑法193条「公務員職権濫用罪」となってもおかしくない行為です。公権力を有する者は、その行使については、慎重の上にも慎重であるべきなのです。

このように、法律を自分勝手に解釈し、公権力をむやみに行使しようとする警察官がいるわけですから、「児童ポルノ規制」についても、同じようなことが起こらないとは限りません。警察官に裁量権を与えすぎると、個人の自由が脅かされる、個人の権利が侵害される可能性があります。「児童ポルノ法」が改正(=改悪?)されますと、作り手だけでなく、受け手も(将来的には)処罰の対象になるようですから、一般人も「他人事」ではいられません。「痴漢でっち上げ」、「盗撮でっち上げ」、「セクハラでっち上げ」と同様、誰でも「言いがかり」をつけられる可能性がある、というわけです。
 
(注)正しくは、「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」である。ところで、この法律で言うところの「児童」は、「18歳未満の男女」とのことで、世間一般の「児童」の定義からすれば、「違和感」があるのは否めない。親の承諾があれば、女性は16歳でも結婚できるが、「児童」が結婚していいのか?
 
 

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