サッカーW杯で、思いがけない議論が湧いている。決勝トーナメント進出か、否かが決まる試合の最後の最後、日本の監督が、2位争いをするセネガルの戦況を判断し、日本チームが攻めることをやめ、ボール回しに徹したからである。結果的には、これが功を奏し、日本は(3度目の)決勝トーナメント進出を果たした。
「許せない」「欧州なら当たり前」 現地サポ、どう見た(2018/6/29)
なぜ、議論が巻き起こっているのか? それは、「正々堂々と戦って欲しかった。それで負けたのなら諦めもつく。戦わずして負けたら、それこそ悔やんでも悔み切れない。今回は『結果オーライ』だっただけ」という人と、「とにかく、勝つことが大事。そのためなら、(ルールの範囲内なら)何をやってもいい。『攻めない』のも戦術の1つ。それが功を奏した」という人に二分されるからである。
さて、どっちが正しいのか? それを判断する際には、「結果」は無視しよう。なぜなら、「結果」だけを見れば、「攻めなかった」のが正しかった、と言うか、間違っていなかったことになるからである。
となると、「正々堂々と戦う」というのが「正論」のような気がしないでもない。日本人好みの「潔い」感じがする。「武士道」に通じるものがある。
しかし、その一方で、「ルールの範囲内なら、何でもアリ、攻めないのもアリ」というのも、戦術的には間違っていないだろう。勝負事は、「勝ってナンボ」である。綺麗事を(言いつつ)実行して負けたら、(同じく綺麗事を言っていた)他人が責任を取ってくれるのか? そんなわけがない。
相撲もそうである。張り手や引き技は、ルール上許されているのに、その手を使ったら、顰蹙を買う、とくに、横綱(や大関)の場合は。なかには、民族差別に根差すケースもあるのではないか?
そもそも、日本人は(総じて)「情緒的」で、ルールと言った「論理的」なものは(あまり)好まない。だから、感情的に判断し、ルールを守っている方を非難したりする。「女性専用車」に乗る私らを非難するのは、そのためである。
未だに知らない人もいるが、「女性専用車」には男性も乗れる。つまり、「男性も乗れる」、「誰でも乗れる」というのが、鉄道会社の決めた「ルール」である。にもかかわらず、「男性は乗るな!」、「男性は乗るべきでない」なんて言うのは、ルール無視の暴論である。
「痴漢対策」だから、男性を排除してもいい? どこにそんな「ルール」があるのか? 男性は乗らないのがマナー? ルールで「男性も乗れる」となっているのに、乗ったら「マナー違反」? 意味不明である。
ルールは守ろう! 法律は守ろう! 憲法は守ろう! もちろん、おかしな部分は見直すべきであるが、その前に、無視したり、蔑ろにするのはいかがなものか?